日誌

全校

始まりの一声 

「おはよう、今日もがんばろう」朝、だれもいない教室を覗くと、黒板に始まりの一声がありました。おそらく昨夜、担任の先生が今朝子どもを迎えることばとして書いてくれたのでしょう。子どもたちは、黒板の文字を見て、さあがんばるぞという気持ちになるに違いありません。

  するとその時、隣の校舎の窓が次々と開いていく光景が目に入りました。まるで、校舎が、朝の清々しい空気を取り入れようと、息をしているようにも見えます。今日も、用務員さんが足早に施錠を解きながら、校舎を渡り歩いていてくれるのです。私に気づいた用務員さんは、窓から「おはようございます」と声をかけてくれました。

  先日、健全育成会の皆さんによるあいさつ運動がありました。

  子どもたちは、校門をくぐると、ずらりと並んだ大人たちに迎えられます。「おはようございます」いつもとは違う、多数の大人の声に押されてか、あいさつに今ひとつ元気がありません。なかには、あえて顔を下に向け、その声を避けるように通り過ぎる子もいました。はずかしかったのでしょう。大人たちの「おはようございます」は、寂しげに彼の頭上を通り過ぎていきました。

  今、学校では、「勇気を出してトライ」をテーマに、お助けレンジャーにも助けを借り、あいさつ改革に取り組もうとしています。「ここぞ」というときに、大きな声を出せる、そう、大阪で登校時襲った大きな地震や、相次ぐ不審者の事件の教訓から、自分の身を守るすべとして、大きな声で、注意を喚起したり、助けを求めたりできることが重要だと考えたからです。

   子どもたちが心の窓を開き、「おはよう」「行ってきます」と放つ元気のよい始まりの一声。この声が、いつか起こる「ここぞ」という場面に「あぶない!」「こっちだよ!」に置き換わり、だれかのいのちを救うと思えてならないのです。

紫陽花

 梅雨入りだそうです 。

雨に打たれ、揺れている紫陽花の花を見ると、暗い心が和んでいく気がします。

 紫陽花は、無数の花が集まって、大輪の花をつくりあげています。その花の見事さは、まるで先日の運動会の時の、赤白青の応援合戦の迫力を思わせてくれます。一つ一つの力はたとえ大きくなくても、それらが結集すれば、こんなに強く美しいものが表現できる。先生たちは、時に紫陽花やたんぽぽを例に挙げながら、クラスの団結力の大切さを諭したものです。

 一方、紫陽花は、土壌の性質によって、その花の色が変わる繊細さがあることも聞いたことがあるでしょう。調べてみると、土が酸性ならば青い花が、アルカリ性ならばピンクだそうです。いわば、土という環境が花自体を決めていくとも言えます。

 さて,今回、栄えある賞をいただきました。この華やかな受賞は、紫陽花の花のような、子どもたち一人ひとりの心が集まったものだと感じます。

が、忘れてはならないのは、それらが福岡という土壌に花開いているということです。福岡フェスティバルの各種団体の催し、七夕会の笹や飾りの準備、そして、見守り隊、自治会、PTAのみなさんの等の挨拶運動など、思えば、子どもたちを取り巻く人の素晴らしさが次々と浮かんできます。

 子どもたちは今、福岡という優しい土壌からたくさんの栄養をいただいて、紫陽花のような美しい花を咲かせているのです。

いのちの庭で

5月はじめに種蒔きしたアサガオが本葉を出し、大きな葉っぱの手を広げています。朝、登校した1年生は、ペットボルト片手に、マイアサガオの鉢に走り出していました。2年生の花壇は、野菜畑になっています。トマトをはじめ、あんなに小さかった苗が青々と茂っています。食の勉強のため、野菜を育て、野菜好きな子にしたいという願いがこめられているのです。野菜畑の向こうには、昨年植えたカキポットのカキが根づき、小さな実をつけていました。秋、カキが実るといいのですが……。あすなろ農園は今年も豊作です。世間では値段が高騰する野菜が、本校は無農薬で安価、しかも「野菜を買ってください」とあの瞳で見つめられたら、買わないわけにはいきません。やはりあすなろの子たちは、最高の営業マンなのでしょう。5年生は、バケツ稲にも挑戦しています。今は水が必要な時期、水を補給しながら、伸びろ伸びろと葉をさすっている姿が印象的でした。稲自身は「なでられてもね」と迷惑がっているかもしれませんが、その心は伝わっているでしょう。

 こんなふうに、本校の庭には、いろいろないのちのやりとりがあふれています。

 いのちと言えば6月18日は「豊橋学校いのちの日」です。8年前野外活動の事故で、この日が設定されました。生きる重さを伝えたいとき、どうしても死を見つめざるを得ません。2年生の道徳では、人が不用意に捨てたビニルを食べて死んでしまった動物園のキリンの話を、6年生では、山頂のゴミ問題に命をかけて取り組む登山家の話を熱心に話し合うなど、このいのちに日に向けて、いのちの学習が着々と繰り広げられています。

雨男

  どうも彼は「雨男」らしい。彼とは、本校の運動会主任のS先生。

 思えば、運動会全体練習がはじまったゴールデンウィーク明けから、いきなり雨、雨……。雨音を聞きながらの体育館全体練習に、「S先生は雨男じゃないか」とにわかに噂が広がりました。しかし、彼はそんな声に動じません。夜遅くまで、翌日の準備を欠かせませんでした。その熱い思いが、天の神様にも通じたのか、その後は天候も回復、夏の陽ざしの中、練習が続きました。

 運動会本番を週末に控えた週間天気予報では、当日は快晴、30度近くなると報じられ、雨どころか、熱中症対策のために、前日に「暑さ対策」のチラシを配布しました。

 運動会当日になりました。この日も、彼は早朝から、グラウンドやテント、器具の準備具合はよいかと、確認を怠っていません。一方天候はというと……、快晴のカンカン照りではなく、空一面に雲が広がり、涼しい朝ではありませんか。快晴の空に雲を呼びこみ、気温を下げ、絶好のコンディションをもたらしたのは、まさに「雨男」の神通力だったのかもしれません。

 最高の曇り空の下、「入場します」の合図に、運動会が始まりました。

朝礼台に上った彼は、若干その声はうわずり、足も震えています。が、最高の舞台と、最高の空気に包まれて、子どもたちは張り切ります。迫力の応援合戦をはじめ、表情やリズム感豊かな低学年のダンス、元気いっぱい躍動するソーラン踊り、そして、土や汗にまみれた感動のスタンツ等々、子どもたちの素晴らしい演技が繰り広げられました。

  運動会後、だれもいなくなったひっそりとしたグラウンドをバックに、先生たちから胴上げのプレゼント。彼は、天に舞い上がりました。そして、感極まり、天からではなく、思わず彼の目から雨が……。やっぱり、彼は雨男なのでしょう。

笑顔と忍耐の朝 

   教室で飼っていたメダカが死んでしまったのでしょうか。5年生の子が、校庭の樹木の根元に穴をほって、お墓を作っていました。また、3年生の子たちはモンシロチョウの卵から幼虫が生まれる瞬間を目撃したと、歓声が上がっていました。こんないのちを愛おしむ子どもたちの日常で、新潟県の児童連れ去り事件をはじめ、いのちが粗末にされる事件を耳にするたび、怒りが募ります。

 さて、先日、PTAの方たちによって「あいさつ運動」が行われました。早朝より校門に係のお母さん方が立ってくださいました。また、通学班の後方に立って、子どもといっしょに登校するお父さんやお母さんの姿もありました。校区には、集合場所で我が子と待ってくださる保護者の方もあれば、ゴミ捨ての途中だからと子どもたちの集合に立ち会ってくださっている方もいます。そして、交通指導員の児玉さん、見守り隊や校区の皆さんには、各地点で声をかけていただいています。子どもたちの毎日は、こうして多くの人たちの優しさに包まれて始まっています。

  子どもの後ろについて歩いてくださったお母さん、いかがでしたか。朝の支度をひと段落させ、子どもの後を歩き、さらに校門からとんぼ返りで帰路につく朝は、さぞ過酷なものだったでしょう。おまけに、子どもたちは、大人の気持ちは考えず、自分のペースで歩く、まっすぐ歩くわけでない、突然止まってお茶を飲んだりする。本当にお疲れさまでした。
  しかし元来、教育というものは、子どもの成長をじっと耐えて待つ営みでもあります。教えるプロである本校教職員も、順調にいかなくても、じっとこらえながら笑顔で頑張っています。まさに忍耐と根気の日々です。 

優しくされた記憶

ぼくが校外学習の遊びが楽しみなことは、一年生といっしょに

遊ぶことです。

理由は、一年生と一時間半の間、ずっと遊ぶことはめったにな

いし、小さい子と遊ぶことは少ないし、ぼくが一年生のときの6

年生には、たくさん遊んでもらって楽しませてもらったので、

ぼくも一年生とたくさん遊んであげて、楽しませてあげたいです。

 

  6年生の日記を、担任の先生に読ませていただきました。右の作品は、校外学習の時のものです。

   入学式、1年生を迎える会と、6年生は、1年生と交流を積み上げてきました。1年生にとっての彼らは、いつの間にか頼りになる、かけがえのない存在になっていました。

  6年生の彼を支えていたものは何でしょうか。

  それは、日記から、5年前の体験だったことがわかります。おそらく、あのころ、交流のイベントはもちろん、日常の通学班の登校やわんぱくタイムでも、6年生に十分過ぎるほどのお世話をしてもらったことでしょう。彼らの優しさには、今はもう高校生や社会人となってしまったお兄さんやお姉さんの存在が原体験にあったのです。

   伝統は目に見えません。が、「良友」の精神は、子どもたちの心の奥底に脈々と流れ続け、その後形や姿となって現れていたのです。そう、今の1年生の子どもたちも、最上級生になったとき、今日の日のことが甦り、日記を書いた子のように、自身を突き動かしていくに違いありません。

  まさしく伝統のちからです。 

一歩一歩 歩もう

   22日 今年も、おやじの会のみなさんによる田植えのイベントが行われました。この日は、初夏の田園風景の中、さわやかな風が水面を揺らしていました。南陽中学校に程近い田んぼには、50名近くの子どもたちが集まりました。

「苗をいたわること」、「根が張るように植え込むこと」など、伊東さんのお話を聞いたあと、子どもと大人が交互になるように、畦に一列に並びました。目印のついたロープが水面に張られ、その目印の場所に苗を植えていきます。

 拡声器から声が響きました。その指示のもと、各自一斉に、足を田に踏み入れると、水の冷たさと泥の感触に歓声をあげる子どもたち。さあ、田植えの開始です。

外野からは、「列を乱すな」「カエルに気をとられるな」「植えた苗を踏むな」と厳しくも温かいヤジが飛び交います。このことばを心に染みこませ、子どもたちは、泥に足をとられながらも、次の一歩を踏み出します。

  歩幅も、脚力も違う、子どもと、親、そして先生が、同じペースで歩む、優しくしかも確かに苗を植えこんでいく姿は、教育のめざすところと共通しているように思います。苗たちは、その光景を喜ぶかのように、さわやかに風になびいていました。

やがて初秋には、厳しい暑さや猛烈な風雨を乗り越えて、この一帯が黄金色の絨毯に染まり、実りの時を迎えるでしょう。学校現場も、子どもたちに、さまざまな学びの実りが訪れるよう、歩んでいきたいものです。

  おやじの会のみなさん、ありがとうございました。

成長のすき間

   校長室から見えるメタセコイヤとイチョウの若葉のすき間から、陽光が差しこんできました。すがすがしい初夏の空気に、学級をのぞくことにしました。

   1年生の教室では、大きなカードに、自分の名前を書いていました。「入学してはじめて書く」という名前。大きい文字や小さい文字、震えた文字や曲がった文字、また用紙の余白が広いなど、バランスは気になりますが、その一生懸命さが伝わってきます。

2年生から6年生は、お話タイムがスタートしました。第1回目のテーマは、「今年、がんばりたいこと」「お話タイムで話し合いたいこと」「自己紹介」等、1年のスタートにふさわしいものが多いようです。しかし、まだ学級開きから間もない今、昨年のような活発な話し合いは見られません。新しい仲間の様子をうかがうように、沈黙が広がります。意見が出ないので、司会者もどうまとめていいのか戸惑っています。全体的に重苦しい空気が漂っていました。

   しかし、それでいいんだと思います。この「うまくいかない」ことが、学級の課題になり、それをみんなで克服していくことが、成長につながると思うのです。

   校長室からの見える若葉も、まばらです。そのすき間から青空が望めます。1年生の名前の余白も、他学年の話し合いの沈黙も、いわば成長のための大切なすき間なのです。

  夏になれば、若葉で覆われ、優しい木陰を作ってくれる樹々のように、子どもたちもきっと、成長のすき間を埋めるべく、頑張って取り組んでくれるでしょう。そう思うと、むしろそれらは、希望や楽しみのように、感じてならないのです。

散り落ちたサクラを眺めて

  サクラがすっかり散り落ちて、いつもとは違う風景の中で、新しい年度が始まりました。

今年度は、6日、102名の子どもたちの入学式が行われ、会場の体育館が満開のサクラのように華やかになりました。彼らを迎える6年生も、最高学年の自覚の中で、1年生の心がさらに元気になるようなパーフォーマンスを、寸劇や歌で披露してくれました。

 振り返れば、春休み中、事前に学校の下見をして気持ちを馴らそうと、新入学生を連れた親御さんにも出会いましたし、新しい教室で、子どもたちを気持ちよく迎えようと、窓や床を拭き、机を整頓する先生の姿もありました。それぞれの人たちが、はじまりの時に備えて、しっかり準備する光景に、心が動きました。

 サクラは散ってから、3か月後ぐらいには、早くも次の花芽をつけるそうです。しかし、その花芽は、いったん冬眠し、暖かくなるのを待って一斉に咲くと聞きました。サクラが一斉に咲けるのは、早く準備し、その時をじっと待つ時間があるからなのでしょう。

 教育も未来への準備の営みです。将来、子どもたちの人生に、満開のサクラを咲かせるように、一つ一つ準備をしていこう、サクラの樹を眺めながら、そんなことを思いました。今年度も、どうぞよろしくお願いします。

祝卒業

 3月20日(火)小雨降る日、6年生106名は本校を巣立ちました。
最後に歌った歌は、羽田裕里江先生の新曲「つぼみ」でした。


眼鏡 校長だより

夢に向かって 

 6年生学年室横に掲示してある「1年生との交流プロジェクト」。赤、黄、青のシールが埋め尽くせられ、ついに大きなハートマークができあがりました。「1年生と交流するごとに1枚シールを貼る」というこのプロジェクトですが、思えば始めたころはこの広いスペースを埋め尽くすことは至難の業だろうと思っていました。が、子どもたちは、遠くを見過ぎず、1日1日を積み上げていくことで、ついに卒業前のこの日、見事完成を見ることができました。

一方、6年生の廊下には、ドリームマップも展示されていました。水色の下地に、言葉、写真やカットが切り貼りされ、自分のイメージする夢が、画面いっぱいに広がっていました。未来を予想することは、先を見るばかりではありません。自分がどんなふうに成長してきたのか、自分がお世話になった人や影響を受けた人は誰なのかなど、制作しながら自らの思い出をたどったことでしょう。

 夢は、塗り絵のようにすでに輪郭があるものではありません。ですから、夢を実現させていくのも、何もない、まっさらな白いキャンバスに、1枚1枚シールを貼っていくようなものです。先が見えない夢であっても、地道に1日1日を大切に積み上げていけば、交流プロジェクトのように、いずれその形がはっきりと見えてくるのではないでしょうか。

 6年生のみなさん、夢に向かってがんばってください。

6年生を送る会

 笑いあり、涙あり。
全校児童・職員が心を込めて6年生の卒業を祝う会をしました。

眼鏡 校長だより

 サクラソウのことば

一棟の北側に黒いシートが取り付けられました。温室で育てたサクラソウを屋外に出し、その霜よけのためのシートだそうです。このサクラソウは、卒業式を彩るために、用務員さんたちが、秋に種を蒔き、水やりだけでなく、苗の生長に伴い植え替えをするなど、温室で精魂こめて育てたものです。なぜ、この冬場に外に出すのか。用務員さんに聞いてみますと、温室育ちは背丈ばかり伸び、風が吹くと倒れてしまう、寒さにさらすことで根をはらせ、丈夫にするのだそうです。私はなるほどと聞いていました。

 温室のとなりにある菜の花畑もそうです。用務員さんは、11月に種を蒔きます。が、極力肥料はやらない。養分が少ない土壌で、菜の花は、それを求めて必死に根をはろうとする。そのため、背丈は低いが、丈夫な菜の花がひしめき合って、寒さを凌いでいるように見えます。

 私は、人も同じだと思いました。温室ばかりで育つと、人生の逆風に耐えていけない、幹の弱い人になってしまいます。困難や試練は、人間形成にとって大きな栄養なのかしれません。そう考えると、サクラソウや菜の花の姿は、春の訪れだけでなく、生きる上で大切な教訓を教えてくれると思うのです。

 そんなことを思っていると、チャイムが鳴りました。わんぱくタイムです。運動場では、縄跳びをする子、鬼ごっこをする子、ドッチビーをする子があふれています。寒風に負けず、走り回る、子どもたちの表情は、まるで満開のサクラソウや菜の花を見ているようでした。

6年親子掃除

 2月21日(水)6年生と保護者が親子掃除をしました。
あと少しで、学校ともお別れです。お世話になった学校をきれいにしました。

プロの技に感動!

 4年生がプロバスケットチーム「フェニックス」の皆さんをお迎えして出前授業を行いました。
選手のダンクシュートにびっくり!

眼鏡 校長だより

福岡っ子は、福岡校区が育てる

先日は、豊橋駅周辺で殺人予告がインターネットへの書き込みがあり、駅には警察官が急きょ配備されました。本校教員も巡回しましたが、その後、豊橋在住の若者が逮捕されました。最近、豊橋警察署からのパトネット配信を見ても、自転車盗、器物破損、不審者情報など、さまざまな心配な事案が伝えられています。

本校の子どもたちにおいても心配がないわけではありません。地域の方から、登下校の様子、公園や神社、各施設の遊び方等、さまざまなご意見が寄せられています。ゲーム漬けの子どもたちの日常が危惧される今、屋外で遊ぶこと自体はとてもよいことではありますが、遊び方を誤ると大きな事故につながったり、近所の方に迷惑になったりします。やはり、ルールを守ることはもとより、人としてのマナー、気配りがこれからの時代に不可欠だと考え、指導を繰り返しています。

校区の年配の方に出会うと、「よく近所の人に厳しく叱られたなあ」と昔を誇らしく語ってくださいます。やはり、少年時代に根づいた経験や感性は、大きく人間形成に関わっていくものです。

「地域の子どもは地域で育てる」このフレーズが世に出て久しくなりますが、保護者の皆様にも「福岡っ子は、福岡校区が育てる」という気概で、校区を支える未来の大人をはぐくんでいってほしいと願っています。

「寒い日も おはようひとつで ぽっかぽか」

この標語は、本校の青少年健全育成会の優秀賞のひとつです。このような豊かな感性を、地域の人たちと交わりの中で、はぐくんでいけたらと感じています。

本年度最後の授業参観

 本年度、最後の授業参観です。
生き生きと学習に取り組む姿が各学年から見られました。



スポーツ集会(長縄大会)

 昼放課、全校で長縄大会を行いました。各学年の優勝クラスは、1年1組・2年3組・3年2組・4年1組・5年1組・6年1組でした。6年1組は新記録を樹立しました。


なわとび教室

 日本なわとびプロジェクト(JJRP)から講師方2人をお招きしてなわとび教室を行いました。どの学年も、夢中になって跳びました。

眼鏡 校長だより

きっかけ

  先週は、健全育成会の皆さんによるあいさつ運動が行われました。大人の勢いに触発されてか、校門ではいつも以上のあいさつの花が咲いていました。ありがとうございました。

あいさつといえば、私が声をかけてもいっこうにあいさつを返してくれない中学生がいました。何か訳があるだろうと思い、気にもとめなかったわけですが、新年を迎えたある日、声をかけると、「おはようございます」と小さな声が返ってきたのです。私は、思わぬその声に、驚きとともに、清々しい気持ちでいっぱいになりました。彼女に何があったのかわかりません。ただ何かきっかけとか、タイミングとかがあって、あいさつを返してくれたのでしょう。

子どもが変わるときは、あたかも偶然のように見えます。が、その近くにはいつもきっかけが寄り添っているものです。九九が言えるようになったのも、リコーダーがふけるようになったのも、25メートル泳げるようになったのも、そこにはきっかけを仕かけた大人の存在があることを忘れてはなりません。

今本校では、縄跳び大会にむけて練習がスタートしました。わんぱくタイムには、運動場一面に長縄に挑戦する子どもたちであふれています。体を摺り寄せながら、順番を待つ子どもの瞳が輝いています。長縄の波は、子どもの心に打ち寄せ、成長のきっかけとなって、ひとつくぐるごとに自信や友情を育んでいくことでしょう。

成人式で和太鼓部演奏

1月7日(日)に、本校の和太鼓部が校区成人式に参加。
演奏を披露し、成人をお祝いしました。

眼鏡 校長だより

活力ある福岡っ子に

お話タイムは、毎週金曜日の朝に行っています。話し合うテーマをクラスで決め、それを話し合うというものです。

この日は、「持久走大会に向けてがんばりたいこと」「力試しはどんな問題がでるか」「力試しと持久走、どちらがいいか(いやか)」「持久走大会中、前の子がショートカットしたらあなたはどうするか」と、直前に控えた持久走や力試しテストにちなんだテーマが多く話し合われていました。クラスの個性が垣間見られるお話タイム、教室を梯子してのぞき見することは、私にとって、ひとつの楽しみになりました。

 やはり「テーマ」が魅力的だと、意見を言いたくなるものです。これまでに『「長生きできるが不幸になる」のと、「1年しか生きられないけど幸福に生きられる」のとでは、どちらを選ぶか』『引っ越すとしたら、「ゴキブリが100匹の家」と、「アリが1000匹の家」、どちらに引っ越すか』『「無限の金」と「無限の時間」、どちらを選ぶか』と過激というか究極のテーマも数多くありました。それが、子どもの意欲をそそるようで、熱っぽく語る姿があり、私も引きこまれてしまいました。

 また、平成二十九年の終わりにふさわしく、「あなたの1年を漢字一字であらわすと、どうなるか」というテーマで話し合うクラスもありました。自分を見つめ、ふりかえり、考えた選りすぐりの漢字に、「ああ」「なるほどね」と納得や驚きの感嘆の友の声が聞こえてきます。黒板に記された「考」「動」「成」「芽」「笑」……の漢字は、この子たちの成長の証だったのです。

一方、世間はといいますと、北朝鮮情勢の影響でしょうか、「北」に決まったそうです。そこで、はたして、本校はと考えてみました。

活発に話し合う授業や児童会活動 あいさつや行事で活気あふれる子ども、そして、水泳部優勝、バスケット部準優勝をはじめ部活動の活躍。本校は「活」でどうでしょうか。

平成三十年、福岡っ子をはじめ皆様にとって、素晴らしい一年になりますように。

 

眼鏡 校長だより

晩秋の風景のなかに

 

琥珀色に色づいたヒマラヤスギと黄金色のイチョウが、陽光に照らされ鮮やかに輝いています。街路樹や校内のあちこちにあるカエデも、紅に染まり、その存在感を示しています。サクラは、赤色から柿色、そして山吹色へと見事なグラディエ―ションに、見る人を立ち止まらせています。

晩秋から初冬へ、本校の校庭は美しい時を迎えていました。この風景の中を、子どもたちは息を弾ませ、走っていきます。今年もかけ足訓練が始まりました。私も、プラタナス、イチョウの落ち葉の絨毯を踏む音を楽しみながら、外周をゆっくり走ることにしています。それにしても、超大型台風やゲリラ豪雨、から梅雨など異常気象に見舞われながらも、季節との約束を守るように、今年もすてきな風景を私たちに届けてくれました。

一方、図書館では、図書ボランティアの皆さんによって、入り口にはクリスマスツリーが置かれ、一足早く冬の装いとなっています。各所各所、工夫が凝らされ、食欲ならぬ読書欲をそそる飾りつけや本の配置がされ、頭の下がる思いです。

また、あすなろの部屋にも、あすなろ美術館が開館していました。のぞいてみますと、あすなろの子どもたちが制作した絵画、工作と、力作ぞろいです。なかでも、運動会、夏休み、福岡っ子発表会の絵は、まるで今年1年の思い出をたどっているかのようでした。

さらに体育館では、老人会の皆さんから、昔の遊びを教えてもらう1年生の姿がありました。「昔の遊びの会」でした。お年寄りと子どもたちの間に、笑顔や優しいことばが生まれ、紅葉に負けぬほど、ぬくもりのある空間になっていました。

環境が人を育てると言われます。美しい自然や温かい人たち囲まれて、人は優しさを紡いでいくのでしょう。

そういえば、登校中、一匹のカマキリを捕まえた子がいました。すでに産卵も終えたのでしょう、カマキリは、抵抗することもしません。そんなカマキリを、そっと優しく垣根に置いていく子。カマキリは、登校する子の後ろ姿をじっと見守っているかのようでした。


眼鏡 校長だより

  忘れられない瞬間

 

台風による延期で、バスケットボール決勝トーナメントが、四日、本校で開かれた。この日は、あいにくミニバスケットボール大会と重なり、多くのチームがベストメンバーで臨めない大会となった。

 メンバーが抜けると、試合の様相が読めない。バスケットは、「習慣」のスポーツと言われる。いつもの練習をこなし、そこで染みこませてきた習慣の中で、仲間同士の暗黙のルールが生まれる。それが一人ぬけることで大きく崩れ、大敗するチームをよく見てきた。

 本校も大黒柱がいない中での準決勝、決勝だった。本校の先生も保護者の方々も大勢が応援に来た。が、大いに期待を寄せながらも、心配で不安を隠せない表情で、試合を見守っていた。私もその一人であったと思う。

 が、福岡の子どもたちは違った。戻ってくるキャプテンのためにと、自分がやらなければと、役割を自覚し立ち向った。それが、シュートやディフェンスの思い切りのよさにつながり、それが随所に決まった。ピンチもあったが、試合の流れをけっして相手に渡さなかった。「習慣」にはない、いつもと違う局面を、キャプテンにつなぐという「思い」がしのいだのだった。

 そして、決勝のハーフタイムに、キャプテンはついに帰ってきた。今までじっと耐えていたのだろう。その時見せた選手たちの何とも言えぬ安堵の表情、私はこの瞬間を忘れることはないだろう。

眼鏡 校長だより

台風が過ぎ去って

 

超大型といわれた台風21号によって、休校になりました。いつもの主役の子どもたちの歓声も、この日ばかりは強風のうなりにとってかわりました。校庭には、ぎんなん、まつぼっくり、くぬぎの実などが、まるで天からばらまかれたように、一面に散らばっています。また、折からの強風は、葉や実だけではなく、枝々をへし折り、運動場の真ん中あたりにも、松やくすのき、いちょう、プラタナスの大きな枝が落ちていました。休校になったその日、先生たちは職員作業。木々の残骸、実を集め、あっという間にリヤカーやコンテナが、いっぱいになりました。台風一過の快晴の空を見上げながら、みんなで行う和気あいあいの心地よい作業に、笑顔が広がっています。

さて、翌日、3年生は、アークリッシュの総料理長を講師にお迎えし、味覚の授業を行いました。コック帽をかぶった神妙な子どもたちでしたが、味見体験をなると目を輝かせいつもの顔に戻りました。味には「あまい、すっぱい、にがい、しょっぱい」の4種類がある。甘いものやしょっぱいものばかり摂取していると、体によくない。そんなお話もあり、苦みや酸味に、顔をしかめている子もいました。私は、彼らを見ながら、これは人が生きていくこともつながると思いました。学校生活において、うまくいくことばかりでなく、ほろ苦さや酸っぱさを味わうことも大切な勉強ではないでしょうか。

外を眺めると、本校の大樹が、空に向かってそびえています。この立派なたたずまいも、厳しい風雨の度に、大切な枝葉をそぎ落とすという、辛酸をなめながら、生きぬいている誇らしげな姿に見えます。

おや、昨日の強風の音を上回るような、子どもたちの歓声が聞こえてきます。そう、今日は、1年生の芋ほり体験。今年は豊作なのでしょうか。

眼鏡 校長だより


  ご褒美

 

清水寺は、平成の大改修中です。「清水の舞台」で有名な本堂は、工事用の木組みと風雨をしのぐシートにすっかり覆われています。それでも、さすがに世界遺産。修復中であっても、修学旅行生や海外からの観光客、そしてツアー客で、寺へと続く参道は、人でいっぱいでした。

 本堂に立ちました。シートに覆われた舞台であっても、シートの間から望む景色は壮大で、紅葉の頃はさぞ絶景であろうと、たやすく想像ができます。

 添乗員さんがこちらに走ってきます。「お水とりができそうです」との声。舞台の下には、「音羽の滝」があります。三つに分かれ滴り落ちる水を飲めば、「学業」「恋愛」「健康長寿」が叶えられると言われ、ここがひとつのスポットになっています。常に長蛇の列ができ、修学旅行生は、時間的なことからほとんどが回避、今年も、添乗した学校ではまだこのお水にありつけていないそうです。

今日はたまたまよい時間帯だったのでしょうか。行列の人の数がすくないと判断し、福岡小の子どもたちを列に加えました。子どもたちは、落ちてくる水を柄杓で受けながら、それぞれ願いをかけています。

 かれらが並んで待つ姿を見て思い出しました。法隆寺でも、大仏殿でも、平等院鳳凰堂でも、いつも速やかに並び、ガイドさんの話を真剣に聴き、メモをとる姿がありました。そんなひたむきな姿を、神様や仏様は見逃していません、お水とりは、そのご褒美だったのかもしれないと思えてなりませんでした。

 お水に託した願い、ただ願いは願い、それが実現するかは別の話です。清水の改修工事が時間をかけ、ひとつひとつ積み上げ完成に至るように、子どもたちにもたゆまぬ精進が必要です。「清水の舞台」ではありませんが、子どもたちの未来に、夢を実現する、晴れ舞台が待っていてほしいと祈うばかりです。

 

 

 

眼鏡 校長だより

  高畑郁子氏の絵に寄せて

 

本校玄関の壁に、巨大な日本画が飾られました。これは、校区在住の画家高畑郁子様から寄贈されたものです。その絵は、「水辺の植物」と題し、睡蓮か水芭蕉を題材にしたのでしょうか、朱色をベースに、水生植物が浮き上がるように描かれ、玄関の空気を一変させていました。

 日本画は、「岩絵の具」といわれるもので描かれます。その素材は、文字通り岩石で、孔雀石、ラピスラズリ、サンゴ、メノウなど鉱石を砕いて作った顔料だそうです。絵の持つ重厚感、深み、気品は、石そのものにある特性が表れているのかもしれません。

 本校へお越しの折は、ぜひご覧ください。

 さて、本校の子どもたちに目を転ずれば、和太鼓部の演奏も、この日本画のように、日本文化の趣きを醸し出しています。今は、10月のお祭りの祭礼に披露するもので、地元の講師の方をお迎えし、練習に励んでいます。多目的室をのぞくと、普段とは別人の引き締まった表情と真剣なまなざしで、先生の激励に応えるべく、力強くバチを操っています。思えば子どもたちの資質も、原石のごときものです。岩を砕いた顔料から見事な日本画が生まれるように、彼らの演奏も磨かれることで、宝石のような深い輝きを放つことでしょう。

 

前期が終了します。教育は、子どもの中からその子らしさという宝石を掘り出す営みでもあります。が、得てして、その自分らしさというものがなかなか本人ではわからない。通知表を見、前期をふりかえって、親子でお子さんが最も輝いたそのときを切り出してほしいと思っています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

眼鏡 校長だより

尾行をしました

 

あすなろ学級の子どもたちが、待ちに待った校外学習に出かけました。

午前は、駅前のプラットで、表現の体験学習を行い、午後は、美術博物館で絵画について学ぶというものです。しかも、その行程は、自分で渥美線の切符を買うとか、飲食店で食事をするとか、渥美線や市電に乗るマナーを学ぶなど、社会勉強の宝庫でした。私は、たまたま午後から名古屋への出張がありましたので、午前は子どもたちの様子を観察することにしたのです。

せっかくの緊張感、わくわく感、自立心を育てる場を壊したくありません。わたしは、子どもたちに気づかれないようにと、まるで刑事のように尾行することにしました。あるときはホームの柱の陰からこっそりと、またあるときは隣の車両のから覗くようにして、さらに食堂の片隅でうどんをすすりながらと……。

子どもたちは立派でした。

混雑した渥美線の車内でも、静かにじっと我慢して立っていました。

自分で注文したラーメンの支払いをし、店員さんから食事を大事そうに受け取っていました

市電の代金を確認し、背伸びをして自販機の投入口にお金を入れ、切符を購入していました。

子どもが成長するのは、大人の手から離れた時です。「手はかさないが、見逃さない」そんな適度な距離感が子どもの成長には欠かせない。今回の尾行を通して改めて気づきました。ただ尾行をしている私に対して、どうも通りがかりの人の目が怪しい。不審者と思われていたかもしれません。不審者として通報されなくてよかった、今となって胸をなでおろしています。

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トントントン

 

 その教室は、授業が終わろうとしていました。今日学習したワークブックをやり終えた子から、順番に提出することになっているようでした。ひとりができ、またひとりができと、教卓の前には自然に行列が生まれていました。半数ぐらいすぎたところでしょうか。私ははっとしました。たくさんのワークは乱れることなくきれいに積まれているではありませんか。

 しばらく様子を観察してみることにしました。無造作に置く子もいます、なかには、放り投げるように出す子もいました。けっしてつねにそろっているわけではありません。しかし、乱れそうになると、その都度気がついた子がワークの山を抱えて、トントントンとそろえています。だれともなく手をさし伸べるその姿にすっかり感心してみとれてしまいました。

この整理整頓の姿は、クラスの仲間に注ぐ、一手間かける優しさでもあったのでした。

 教室を離れ、再び廊下を歩き出しました。「整理整とん」「スリッパをそろえよう」などポスターに囲まれたトイレのスリッパ、用務員さんによる手作り雑巾かけの雑巾、いずれも気持ちのよいほどにきれいに並んでいます。ここにも、だまって動き出している「だれか」がいるのです。夏が行き、実りの秋を迎えました。さわやかな秋風に優しさの穂が揺れているようでした。

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なかぼしの時間

 

校長室には、水泳大会の優勝旗が飾られ、そのペナントに平成29年度福岡小学校の文字が輝いています。その活躍に触発されてか、グランドや体育館から今日も元気な声が聞こえてきます。球技大会に向けて、練習がスタートしたようです。

 が、ものごとはなかなか思い通りにいかないものです。練習試合から職員室に帰ってくる先生は、きまって声を枯らして顔を真っ赤にしています。試合の様子を聞いてみると、子どもたちの声より先生の叱咤激励の方が上回っていたようです。練習の成果はまだこれからというところです。

 9月がスタートしました。夏休み前全校児童に伝えた「小さな目標」はどれだけ実を結んだでしょうか。

実りといえば、先日おやじの会の皆さんによる稲刈りが行われました。田植えから4か月余り、金色の絨毯を彩る豊かな稲穂がこうべを垂らしていました。子どもたちは、その重さをその手に感じ取って、カマで刈り取りました。豊かな実りの背景には、「なかぼし」と言って水を枯らし、暑さにさらされるなかで、空気を吸収し根を広げる時が必要なようです。

 人の成長にも、このなかぼしのように、忍耐の時間が必要です。すぐに結果を求めず、心の根をはる時間を大切にしながら、実りのときを待ちたいと思います。

校長室の窓からは、はざかけされた稲穂が太陽の光に照らされ、輝いていました。

 

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 とびっきりの笑顔

 

夏休み第一日目泳力補充が行われた。泳力1mからの、いわゆる泳ぎが苦手な子22名が集まった。表情の硬い子と笑顔の先生の組み合わせはやや違和感があるが、これからはじまる物語に期待が高まるばかりだ。

 プールに広がるさまざまな練習の風景、ここまでここまでと自らが道標になり呼び込む先生、手本を示し、いっしょに泳ごうと意志表示をする先生、道具を使って子どもを引っ張り、泳ぐ感覚を養おうとする先生、さまざまな手法でこの子に泳力をつけようとする先生の姿がある。子どもたちは、その熱をしっかりくみ取って、必死に水面を滑り、知らぬ間にその距離は伸びていく。そして、先生の激励の声が最高潮に達したそのとき、水中から飛び出したその顔はとびっきりの笑顔であった。「泳げた!」周りからも拍手。教師の仕事の醍醐味は、この瞬間にある。15人を超える子たちが、25mを泳ぎ切ったと聞いた。25mは届かなかったが、格段の進歩の子もいる。ドラマも子どもの数だけある。

 プール横では、明日に迫ったフェスティバルの準備がPTAの人によって始まった。掃除をしたり、テーブルを運んだりと、猛暑の中汗びっしょりである。子どもたちの笑顔と大人たちの汗の美しさがまぶしい夏休みのはじまりであった。

 

 

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チャレンジの夏に

 

七夕を過ぎ、セミの鳴き声が聞こえ始めました。校庭を歩くと、所々にセミが抜け出た穴らしきものが目に入ります。セミは幼虫として何年も地中で過ごし、わずか1週間ほど外の世界で鳴き尽くします。セミの一生のほとんどは、地面の中だということです。あの一途でひたむきな鳴きぶりには、そんな下積みの世界があることを忘れてはなりません。

プールでは、そんなセミの鳴き声と暑い陽ざしを浴びながら、元気いっぱい泳ぐ子どもたちの姿がありました。4年生の授業でした。「25メートルを泳ぎ切る」「クロールも平泳ぎもマスターする」……教室に掲げた水泳のめあてをめざし、6つのコースに分かれ、25メートルを泳ぐというものでした。先生のホイッスルを合図に泳ぎはじめた子らは、トビウオのようにすいすい進む子もいれば、水しぶきばかりでなかなか前に進まぬ子もいます。「がんばれ」「まだいけるぞ」先生の激励もむなしく、あえなく途中で立ってしまう、そんな子もまだまだいるようでした。

確かに泳ぎが苦手な子にとっては、25メートルは遠い道のりです。が、人がものごとを成し遂げるためには、セミが長く闇の時間を過ごすように、うまくいかない時間、失敗を繰り返す時が必要ではないでしょうか。そして、その苦しい闇が長ければ長いほど、成功したときの喜びは大きく、そこで身につけた自信は計り知れない。必ずや将来生きてはたらいく原動力になっていくに違いありません。

 目標を達成できず、下を向いてプールサイドを歩くあなた、まだ諦めてはいけません。苦しい歩みは自信や感動のエネルギーを蓄える時間です。さあ、もう一度チャレンジしてみてください。

 いよいチャレンジの夏休みです。

 

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七夕に寄せて

 

「じゃあ、将来、何になりたいの」と登校中の子どもに聞いてみた。「消防士か、警察官」ときっぱりと男の子、次の女の子は「ケーキ屋さん」と少し考え笑顔で答えてくれた。今日は、七夕集会がある。学校までの道中、七夕の話題の花が咲いていた。

 七夕集会を支えてくれたのは、保護司会、民生委員、更生保護女性会、老人会、PTA等地域の皆さんだ。前日は、子どもたちに配る七夕飾りの竹を伐採しに、出動してくださった。体育館横に届いた大量の竹の山を見ると、蒸し暑さとヤブ蚊と闘いながら、竹やぶに入り何本もの竹を切り出したご苦労が容易に想像できる。そして今日は、その竹山から七夕飾り用の長さに切り出し、さらにそれに飾りつけをする作業が市民館で待っている。市民館の部屋には、ところ狭しと、短冊をはじめ輪飾り、星、ちょうちん、吹き流しの手作り飾り、そして配布するポケットティッシュの山が並び、作業にあたる方たちの熱意が伝わってくる。

 七夕集会は、あいにく出張で私はその様子を見られなかったが、七夕飾りを前にして、子どもたちの笑顔があふれていたと聞いた。子どもたちは、短冊にどんな願いをかけたのだろうか。夢が生まれ育つところには、必ず大人の存在がある。短冊に願いをかけながら、地域の皆さんへの感謝を忘れないだろう。

 今週は、3年生が警察官だった方による自転車教室、4年生が市職員による「水」の環境学習、5年生がいのちを学ぶ「赤ちゃん」ふれあい体験、6年生がプロのホテルサービスに学ぶ出前授業と、さまざまな部門、業種で、専門性をもった大人が来校し、経験という財産をもとに、体験を交えて教授してくださる。「体験が子どもの育ちに大きく影響する」と言われる。さまざまな大人の存在が、福岡っ子の未来を触発してくれると願うばかりである。

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 Bigハートの実

 

6年生の棟の階段をあがったところに、一枚の掲示物があります。

ハート型にかたどった大きな枠に、小さな小さなシールが貼られています。「1年生の笑顔のために」と、わんぱくタイムや昼放課に、1年生と遊んだ6年生の子は、ここにシールを一枚貼ることになっているそうです。今このBigハートは、赤や黄、青の花びらが、まるで紫陽花の花のように開きはじめていますが、まだ一部、二部咲きと言ったところでしょうか。あまりの大きな枠に、満開まではまだまだ時間がかかりそうで、ここには、1年生を思う心だけでなく、6年生107名の結束と目標を達成する強い意志が必要なのかもしれません。

それでも今日も、1年生をおんぶしたり、手をつないで走ったりしている6年生がいました。その日はたとえ遠くても、子ども一人ひとりのハートには、優しさの灯()がともっているんだなあと感心します。私は、サクラ前線ならぬ優しさ前線が本校に到達し、開花予報がでるのはいつだろうか、6年の先生の満開の開花宣言を楽しみにしつつ、次の教室へと向かいました。

6年生教室の廊下から、カキポットが見えました。これは、先日3年生がカキの摘果を行い、カキの生長を継続観察するモデルです。「モモクリ三年カキ八年」と言われますが、実りを得るまで時間がかかります。

6年生の優しさの花も実際に実になるのは、5年後、1年生の彼らが6年生になったときです。そのころ彼らは、優しくされた思い出を胸に、きっと新入生を誘いに動き出すに違いありません。優しさのBigハートの花は、時間をかけ立派な実となって、後輩へと引き継がれていくのです。そのとき6年生のみなさんは、高校生、自転車で学校に急ぐあなたの横には、新入生をいたわって登校する「1年生の彼ら」がいるのです。

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 世界でいちばん真剣な教室

 

学校公開日、保護者の皆様、ご来校ありがとうございました。また、引き取り訓練、通学路確認のご協力感謝いたします。今回は、5年生のことで書きたいと思います。

2時間目の授業はすべて国語、同じ教材で行われていました。「世界でいちばんやかましい音」うるさい音、やかましい声を好み、それを誇りにしてきたガヤガヤという都が、王子の誕生日に起こった思わぬハプニングで、沈黙のよさを知り、世界でいちばん静かな都に変わるというお話です。これは、文学作品には必ず山場があり、そこにある決定的な変化を学ぶというものです。

教室をのぞきました。1組は、B紙に書かれたこれまでの学習記録をつなげながら、登場人物の変容を整理していました。2組は、黒板に物語の構成が図式化され、因果関係がわかりやすく、感動のルーツが見えてきました。3組は、クライマックスの瞬間を切り取り、子どもたち自身が物語の沈黙の世界を味わおうと動き出そうとしていました。

授業の味つけ方法は違いますが、どのクラスも担任の熱意というスパイスがピリッと効き、迫力あるものでした。子どもたちも、先生の思いに応えようと、本気で向き合います。ガヤガヤの住人が人の声を真剣に聞こうとしたように、友達の考えを真剣に受け止めようとしています。そして、それを温かく見守る保護者のみなさんも……。まさしく「世界でいちばん真剣な教室」だなあと感じて、次の部屋に行きました。

物語同様、人の営みにも山場があります。そして、その瞬間には、つねに本気な姿が垣間見られます。この日は「豊橋学校いのちの日」にちなみ、各教室には、本気で「いのち」を見つめる子どもの姿がありました。

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  ことばの栄養

朝、昇降口付近では、1、2年生の子が、水を滴らせながら、大事そうにペットボトルを抱えていました。1年生はアサガオ、2年生は野菜、「大きくなあれ、大きくなあれ」と願いをこめて、毎日水をあげているのです。いっぱいに広がっている緑の葉を見ていると、子どもたちの思いが届いていると思えてなりません。

時を同じくして、読書週間もスタート。図書室では、福岡ブックフェスタが始まっています。今日も本を借りに足を運んできているあの子は、何冊目なのでしょうか。またボランティアのみなさんによる「おはなし会」も催されていました。ドキドキする話、わくわくする話に、瞳を輝かせ、胸をときめかせている子どもたちがいました。さらに、わんぱくタイムには、あすなろおはなしの部屋が開かれています。あすなろ学級の子どもたちの手作りの絵本や紙芝居と優しい言葉にふれ、参加した子どもたちも心穏やかに時を過ごしていました。

ことばは心の栄養です。「おはよう」「ありがとう」などのあいさつもそうですが、子どもの心をくぐる多くのことばが、彼らの優しさの幹や根を育てていきます。大人たちは、子どもに、温かいことばのシャワーをたっぷり浴びせてあげたいものです。 

 栄養といえば、今週は、学校保健委員会や給食懇談会で、朝食や給食を通して、食について考えます。偏食や不規則な食生活が、大人への人格形成に大きな影響を及ぼすと言われるからです。

ことばも食も特効薬ではありません。ペットボトルから水を垂らすかのごとく、栄養を子どもの心身に少しずつ少しずつ染みこませていきたいものです。性急に成果を求めず、いつかのためにじっくりと取り組む、ある種の大人の覚悟が求められている気がします。

 

 

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  わき役の心

青空にBGMがとどろき、5,6年生のスタンツが始まりました。グランドに手をつき、地面を蹴る、うつぶせになり、立ち上がる、素早く華麗な演技が続いていく。しかも、仲間同士の呼吸が合い、集団の鼓動がひとつに聞こえるほどの一体感を感じる。快晴の空の下、初夏の太陽のスポットを浴び、「君が主役だ」のテーマ通り、まさしく主役でした。

 「大地に伏せ、大地を蹴る」主役としてステージに立ち、子どもたちは、何を感じていたのでしょうか。

 今朝、このステージは、水が浮いていました。昨夜から想定外の大雨となり、運動会の開催すら危ぶまれるほど。昨日教頭先生の作った、てるてる坊主の表情も何か悲しげでした。

 しかし、早朝から、水を掃きだし、地面を馴らし、消えたラインを引く、教職員だけでなく、おやじの会をはじめとする地域の方が、グランド整備に動き出してくれたのでした。子どもたちの演技に支障がないようにと願う、わき役たちの思いが、きっと天に通じたのでしょう。太陽の陽ざしとさわやかな風も手伝って、スタンツの頃は、ベストコンディションになっていました。

 5,6年だけでなく、1年から4年の子どもたちに、「主役になるには、わき役の存在が不可欠だ。わき役に感謝してこそ主役になれる」最後に、そんな話をさせていただきました。

 6月になります。主役の子どもたちには、わき役の心を感じ、学ばせたいと思っています。保護者の皆様、子どもたちへの温かいご声援、そして手本になるようなマナー、名わき役でした。心から感謝いたします。

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運動会に寄せて

 連日、運動場や体育館で、運動会の競技や演技の練習を、元気いっぱいに繰り返している子どもたちが見られています。

 全校練習の時間でした。校舎は先ほどのざわめきが嘘のように静まりかえっています。5年生の教室を覗いてみました。メダカの飼育とインゲンマメの栽培がすすめられていました。メダカは、ペットボトルをお家に、産卵計画が進行中でした。また、インゲンマメの発芽の実験中でしょうか。光に向かって伸びようとしているインゲンが、ニンゲンのように健気に映りました。

 3年生も、水槽が並んでいるではありませんか。なかをのぞくと、イモムシかキャベツを食べていました。おそらくアゲハの幼虫でしょう。幼虫は脱皮を繰り返し、やがてサナギに、そして1か月後にはチョウへと羽化していきます。

 静まり返った教室に、こうして静かにいのちや成長の営みがなされている、このことが、妙に神秘的に映りました。

 一方運動場では、全校児童の応援の練習中で、活気にあふれています。赤、青、白、それぞれが応援団長を中心に、趣向を凝らし、応援歌や踊り、ウエーブの練習中でした。「君が主役だ 運動会 心をひとつに一致団結」とテーマに掲げながらも、まだ声が小さかったり、ばらばらであったりと、先生をやきもきさせています。でも、6年生が先頭に立ち、懸命に呼びかけている姿を見ると、今ががんばりどころだと思わず声をかけたくなります。子どもの心も、経験という脱皮を繰り返しながら、成長していくのでしょう。1週間という期間が、必ずや演技を進化させてくれるに違いありません。

 いよいよ週末は運動会。福岡の空にアゲハチョウが飛んでいくように、子どもたちも主役となって飛躍してほしいと願っています。

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福岡小の美しい風景

 新緑の中、運動会の練習、部活動がスタートしました。

 授業後、校内を歩いていますと、まず太鼓の音が聞こえてきました。多目的室をのぞくと、和太鼓部の演奏が始まっていました。昨年から練習してきた演目なのでしょう。ブランクを感じさせない、力強い音の力に圧倒されました。体育館の方からは、「はいっ」と元気のいい返事が聞こえてきました。遠い昔、バスケボール部顧問であった私は、体育館に入ると、やはり気持ちが引き締まるものです。バスケット部はボールハンドリング、バレー部はトスやレシーブの基礎練習を繰り返していました。まだぎこちなさが目立ちますが、この反復練習で技術のアップは間違いありません。

音楽室からは楽器の音が聞こえてきます。部屋をのぞくと、音楽部の個別練習でした。丁寧に教え合う姿が印象的で、楽器演奏の音が音色へと進化する日も近いことでしょう。

すると、となりの棟から大きな声が聞こえています。6年生の教室のようです。応援団長さんが中心となって、応援の曲にあわせて、歌詞や振り付けをどうするか、熱い議論がなされていました。今年の運動会のテーマどおり、一致団結する姿が楽しみでなりません。

 窓から運動場を眺めました。顧問の声やホイッスルの合図にあわせ、ダッシュやボールタッチを繰り返す陸上部、サッカー部がいました。

私は屋外に出てみました。薫風の中、若葉のざわめきとともに、楽器やホイッスル、歌声と、さまざまな音がシンクロし、まるでオーケストラのように聞こえてきました。これもひとつの福岡小の文化なのでしょう。

校長室に戻るころは、下校時間が近づいていました。オーケストラ演奏はぱたりと消え、静けさが訪れていました。 

 

 

 

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遠足に行ってきました

月になりました。ゴールデンウィークの狭間、1日の遠足は、子どもたちにとって、リラックスできる場でもあり、さぞ楽しみであったことでしょう。

朝、晴天の下、運動場に集合した子どもたちは、元気いっぱいに、それぞれが「行ってきます」と目的地に向かいしました。

ところがです。昼ごろから天気が急変、突然黒い雲に覆われ、雨がぱらぱらと降りだしたのです。おまけに、竜巻注意情報も発令。現地と学校が急きょ連絡を取り合い、天気図や雨雲の動向を見ながら、対応にあたりました。教育活動は、このように想定外の出来事はつきものです。急きょどう対応するか、判断することが重要となってきます。

竜ケ池公園の2,4年と高師緑地公園の1,6年生は、予定を打ち切り、学校に戻りました。そして、ふれあいルームや体育館で仲良くお菓子を食べ、校内ウオークラリーやふれあいの時間をもちました。「避難所ってこんな感じだよね」と、避難所の生活を彷彿させるように、異学年で新たな交流が生まれていました。

また、向山緑地公園の3年生は、雨雲が切れた時間を見計らい学校へ。早く到着し浮いた時間を使って、運動場で学年レクの続きを楽しみました。

雨雲を蔵王山頂上で迎えた5年生は、安全な場所で待機し、天気の回復を待って下山を始めました。鮮やかな新緑の中、声をかけあい、助け合いながら歩く姿が印象的だったと聞いています。

 ピンチやトラブルは、悲しむべきことだけではありません。そこから学ぶべき教訓とともに、新たな体験やかかわりを運んできてくれるものです。先日、避難訓練で迅速な動きができた福岡っ子にとっては、今回は、とてもよき実践の場であったと感じています。

 下校時は、すっかりよい天気になりました。天気の神様のいたずらを少しうらやみながら、元気に下校する子どもの姿がありました。

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はじめての授業参観

422日、お昼の時間に、体育館をのぞくと、緊張した面持ちで、座っているPTAの新旧の役員みなさんがいらっしゃいました。このあと開催されるPTA総会のリハーサルだそうで、司会の台詞にあわせて、立ったり、座ったり、さらにお辞儀をしたりと、本番さながらの緊迫感が漂っていました。「このくらいはやっておかないとね」とPTA会長さんの言葉。

 やがて、チャイムがなり、5時間目の授業参観が始まりました。思えば初任の先生にとっては、教員人生はじめての参観授業、慌てて見に行くことにしました。するとどうでしょう。たくさんの保護者の方々を前に堂々とやっているではありませんか。「今の若者は、度胸あるよな」と思い、その旨を教頭先生に話すと、どうもそうでもないようです。昨日遅くまで、周りの先生を交えて、話し方、板書などリハーサルを繰り返したそうです。

 教育は未来への準備とも言われます。PTA役員さんも、初任者もそうであったようにものごとを成し遂げるために、たゆまぬ準備があったことを忘れてはなりません。

福岡小の校庭の樹々も、若葉を広げ夏への準備を進めています。

保護者の皆様、ご来校ありがとうございました。