2017年9月の記事一覧
校長だより
高畑郁子氏の絵に寄せて
本校玄関の壁に、巨大な日本画が飾られました。これは、校区在住の画家高畑郁子様から寄贈されたものです。その絵は、「水辺の植物」と題し、睡蓮か水芭蕉を題材にしたのでしょうか、朱色をベースに、水生植物が浮き上がるように描かれ、玄関の空気を一変させていました。
日本画は、「岩絵の具」といわれるもので描かれます。その素材は、文字通り岩石で、孔雀石、ラピスラズリ、サンゴ、メノウなど鉱石を砕いて作った顔料だそうです。絵の持つ重厚感、深み、気品は、石そのものにある特性が表れているのかもしれません。
本校へお越しの折は、ぜひご覧ください。
さて、本校の子どもたちに目を転ずれば、和太鼓部の演奏も、この日本画のように、日本文化の趣きを醸し出しています。今は、10月のお祭りの祭礼に披露するもので、地元の講師の方をお迎えし、練習に励んでいます。多目的室をのぞくと、普段とは別人の引き締まった表情と真剣なまなざしで、先生の激励に応えるべく、力強くバチを操っています。思えば子どもたちの資質も、原石のごときものです。岩を砕いた顔料から見事な日本画が生まれるように、彼らの演奏も磨かれることで、宝石のような深い輝きを放つことでしょう。
前期が終了します。教育は、子どもの中からその子らしさという宝石を掘り出す営みでもあります。が、得てして、その自分らしさというものがなかなか本人ではわからない。通知表を見、前期をふりかえって、親子でお子さんが最も輝いたそのときを切り出してほしいと思っています。
校長だより
尾行をしました
あすなろ学級の子どもたちが、待ちに待った校外学習に出かけました。
午前は、駅前のプラットで、表現の体験学習を行い、午後は、美術博物館で絵画について学ぶというものです。しかも、その行程は、自分で渥美線の切符を買うとか、飲食店で食事をするとか、渥美線や市電に乗るマナーを学ぶなど、社会勉強の宝庫でした。私は、たまたま午後から名古屋への出張がありましたので、午前は子どもたちの様子を観察することにしたのです。
せっかくの緊張感、わくわく感、自立心を育てる場を壊したくありません。わたしは、子どもたちに気づかれないようにと、まるで刑事のように尾行することにしました。あるときはホームの柱の陰からこっそりと、またあるときは隣の車両のから覗くようにして、さらに食堂の片隅でうどんをすすりながらと……。
子どもたちは立派でした。
混雑した渥美線の車内でも、静かにじっと我慢して立っていました。
自分で注文したラーメンの支払いをし、店員さんから食事を大事そうに受け取っていました
市電の代金を確認し、背伸びをして自販機の投入口にお金を入れ、切符を購入していました。
子どもが成長するのは、大人の手から離れた時です。「手はかさないが、見逃さない」そんな適度な距離感が子どもの成長には欠かせない。今回の尾行を通して改めて気づきました。ただ尾行をしている私に対して、どうも通りがかりの人の目が怪しい。不審者と思われていたかもしれません。不審者として通報されなくてよかった、今となって胸をなでおろしています。
校長だより
トントントン
その教室は、授業が終わろうとしていました。今日学習したワークブックをやり終えた子から、順番に提出することになっているようでした。ひとりができ、またひとりができと、教卓の前には自然に行列が生まれていました。半数ぐらいすぎたところでしょうか。私ははっとしました。たくさんのワークは乱れることなくきれいに積まれているではありませんか。
しばらく様子を観察してみることにしました。無造作に置く子もいます、なかには、放り投げるように出す子もいました。けっしてつねにそろっているわけではありません。しかし、乱れそうになると、その都度気がついた子がワークの山を抱えて、トントントンとそろえています。だれともなく手をさし伸べるその姿にすっかり感心してみとれてしまいました。
この整理整頓の姿は、クラスの仲間に注ぐ、一手間かける優しさでもあったのでした。
教室を離れ、再び廊下を歩き出しました。「整理整とん」「スリッパをそろえよう」などポスターに囲まれたトイレのスリッパ、用務員さんによる手作り雑巾かけの雑巾、いずれも気持ちのよいほどにきれいに並んでいます。ここにも、だまって動き出している「だれか」がいるのです。夏が行き、実りの秋を迎えました。さわやかな秋風に優しさの穂が揺れているようでした。