校区の歴史紹介
福岡小学校校区の歴史紹介です。

「福岡」の地名の由来
平安時代の(985~987年)頃、京都の西の岡の人が住んだため、「西の岡」「長岡」と呼ばれていた。
江戸末期頃この土地に富貴の家があったことから、これを福とし福岡と名付けたとされている。
師団排水路・師団橋


師団3号橋(しだんさんごうばし)
師団排水路:元、第十五師団の遺跡
戸部新左衛門の墓(橋良町共同墓地内)

戸部新左衛門政直は今川義元の娘婿。
織田方に濡れ衣を着せられ、今川により三河吉田(豊橋)で殺害された。
橋良神社・シャシャンボ

建久五年(1194年)源頼朝が社領を寄進した。
推定200年以上のシャシャンボの木(鳥居右側)がある。
正光寺


福岡小学校は明治7年にここ正光寺に「橋良学校」ができたのが始まり。
三十三観音が祀られている。
大池・鯰池


(左:大池  右:鯰池)
自然が保たれ、水草が豊かにある。
数多くの池沼トンボや7~8月には水面に多くのスイレンの花が見られる。