日誌

全校

福岡っ子発表会に寄せて


  晩秋の冷え込みとともに、学校の周りの街路樹も少しずつ色づいてきました。イチョウ、イロハモミジ、ケヤキ、ソメイヨシノなど、それぞれの樹がそれぞれの色に染まろうとしています。それにしても、昨今の異常気象の中にあっても、多少の早い遅いはあるにしろ、こうして約束を果たすように学校を染めてくれる風景にふれると、樹木たちに「今年もありがとう」と伝えたくなります。

 一方、本校も福岡っ子発表会が近づいてきました。届いたプログラムを見ますと、今年も美しいメロディや力強い音の響きの演奏を皮切りに、楽しみな企画が並んでいます。勇気や信頼をテーマに、アイディアあふれる演出と力強い演技が際立つ冒険の物語もあれば、戦争や校区の歴史を取り上げ、人の営みや思いそしていのちを見つめるもの、さらには、野菜や虹の子など他の物になりきって、元気で明るい自分たちを表現するものと、楽しみは尽きません。

 紅葉の見ごろは十一月の終わりでしょうか、一年中のわずかな期間です。しかし、樹々たちは、たったひとときその瞬間に向かって、精一杯生きているように見えてきます。福岡っ子たちも、発表会というほんのわずかな時間のために、先生たちの叱咤激励を受けながら積み上げた練習を糧に、自らを新たな自分に染め上げて、本番に臨むことでしょう。

 詩人のサトウハチロウ氏の詩「自分を染めてあげてください」の詩の一節に、「ひとにやさしく、自分にはきびしく、これをつづけるとすばらしい色になる。ひとをいたわり、自分をきたえる これが重なると輝きの色になる」とあります。あと一週間の練習で、子どもたちがどのように色づいてくれるか楽しみでなりません。 

ワンチーム

  
  修学旅行に行ってきました。6年生のテーマは、「I」(あい)見つけ。学び合い、助け合いを子ども同士が見つけようというものでした。私も、6年生の「I」見つけをしようと参加しました。

 私が彼らの中に見つけた「I」は、時間を守る、しゃべらず動くという 集団行動の素早さです。

 まず旅の始まりの豊橋駅。この時期は、修学旅行シーズン、駅は多くの児童や生徒が終結する場です。この日もお隣の栄小学校そして、南高校の生徒たちが集まっていました。いち早く集合完了した福岡っ子は、速やかにホームに移動、だまって行動する姿に、思わず感心した駅員さんから「高校生よりすごい」と、お褒めの言葉をいただきました。

 京都駅でも、予想通り、修学旅行生に加え、一般の観光客、外国人旅行客とごったがえしていました。ホームに降りると、添乗員さんを追いかけて階段を下ります。先頭が見えにくいなか、福岡っ子は、群衆をかき分け一団となってバスに乗り込むことができました。

 観光地につけば、写真撮影のベストスポットは、当然混雑しています。法隆寺の境内でも、東大寺の鏡池前でも、そうでしたが、時間と空間のすき間をぬって、素早く整列し撮影し、速やかに、次の団体に明け渡す動きがありました。クラスが「移動して」「並んで」「ポーズして」と一連の動きの速さは、写真屋さんを驚かすほどでした。

 学校に戻れば、写真屋さんの撮影した集合写真が展示されます。青空をバックにさわやかに並ぶ笑顔の裏には、短時間で混雑を克服したという自信があふれているのです。

 さて話は変わりますが、先日ラグビーのワールドカップは最高の盛り上がりを見せて閉幕しました。日本は強豪に次々と勝利し初のベスト8を果たすなど、「ワンチーム」としての結束ぶりが評価されました。ですが、福岡小6年生の動きもなかなかです。日本代表に負けず劣らずの立派なワンチームだったと思っています。 

メタセコイヤの思い出


 小学校時代の部活動の思い出と言えば、サッカーの中央大会に出場したことです。昔々48年前、思えばもう半世紀近く前の出来事。田舎の小さな学校だったので、当時としては快挙でした。

 忘れられない理由は、私のミスで負けたからです。

 当時、私はキーパーをやっていて、チームは結果的に市内優勝したチームと初戦で対戦、接戦だったのです。しかし、今思えば、私のポジションが悪く、前に出過ぎていたのでしょう。相手のヘディングしたボールは、私の頭上を越え、ゴールの中に落ちていきました。そして、これが決勝点となって、あえなく1回戦敗退となりました。ここで、私とサッカーのつきあいは終わりました。ただ当時は忘れてしまいたかったこの敗北も、ずいぶん時が経ち「がんばったんだよ」と思い出が慰めてくれ、懐かしいものになっています。

 このときの他の思い出といえば、実に断片的です。近くに電車が走っていたこと、グランドがやたらと広かったこと、そして大きな樹が見えたこと。そう、会場は、福岡小学校だったようです。私が、本校に赴任したとき、その風景を見て、ああ、あの樹はメタセコイヤだったんだと、思い出の中の樹にたどり着くことができました。

 今も部活動を見るのが好きで、授業後、グランドにサッカー部の練習を見に行くことがあります。声を出し、元気に走り回る選手たちがまぶしく見えます。遠い昔の自分を重ねながら、今の選手は、本当に上手だなと感心しきりです。

 令和の時代になり、長い部活動の歴史も閉じようとしています。しかし、懸命にがんばった思いや思い出は閉じることなく、永遠に続いていきます。球技部のみなさん、頑張ってください。

校歌に包まれて


 最強といわれた台風19号が過ぎ去り、予定を変更するなどして、各町で祭礼が行われました。

 小池神社では、恒例の和太鼓演奏がありました。5時半になると、ステージ前には、地域の人たちがシートに座って、子どもたちの出番を待っています。子どもたちは、緊張感に包まれながら、3曲を披露。「よく合わせられるなあ」と見物している地域住民の感嘆の声に、「練習頑張ってきましたから」と答えておきました。

 その後、橋良神社で、本校の清川、瀬野尾先生が手筒花火をあげると聞いていたので、自転車を走らせました。途中、福岡っ子が「校長先生じゃん」「こんばんは」「どこいくの」と声をかけてくれました。

 西の空が夕焼けに染まる中、橋良神社につきました。爆竹があちこちでなり、出店もありにぎやかです。くじをもった人たちの長い行列ができていました。

 いよいよ奉納花火です。清川、瀬野尾両先生の登場です。スーツでもなく、運動着でもなく、祭着でさっそうと現れたふたり。一礼の後、手筒に点火された手筒は炎をふき上げます。両先生は、炎が安定すると、筒を起こし、体全体で支えます。宙に吹きあがった炎が、火の粉になって、桜の花ふぶきのように落ちてきます。その美しさといったら言葉にしようもありません。

 清川先生に聞いたのですが、手筒の製作はすべて自分に任されるそうです。竹を取り、筒をくりぬき、縄を頑丈にしめる、そして火薬をつめる、数週間前からたいへんな準備があるわけです。桜が厳しい冬を乗り越えて花をつけるように、美しい花火にも、厳しい時間が流れているのです。

 吹き上がる炎のBGMに校歌が流れました。するとどうでしょう。そのメロディにあわせて校歌を口ずさむ子どもや大人。校区の人たちのやさしい歌声に包まれ、ふたりの晴れやかな炎の舞が繰り広げられたのです。

優しい朝の風景を見つめて

    ある朝のことです。通学路の歩道で転んだ中学年の女の子がいました。アスファルトでひざが擦れて、かなり痛そうです。立とうとするわけですが、手をついて四つんばいになったまま、なかなか動けません。目から涙はとめどもなく出てきます。その涙に圧倒されてか、班の子は、その場に立ち尽くしたままです。いたいたしさに、子どもたちの時間は止まったままでした。

  そのときです。1年生の男の子が、その上級の女の子に手をさしのべるではありませんか。かざされた、その小さな優しい手のひらをじっと見つめた彼女は、やがて顔を上げ、自力で立ちあがったのでした。そして涙を拭き、ランドセルを背負い直すと、今度は彼女の方からその男の子に手をさしのべました。手をつなぐと、みなが安心したように歩き出しました。彼らの時間も動き出したのでした。

    福岡ウォークの舞台である通学路では、こんなふうに優しさのあふれる福岡っ子の紡ぎ出す感動的な場面があります。先日は、突然鼻血を出した男の子を「大丈夫、大丈夫」と安心させながら登校する子たちがいましたし、泣き出した1年生の子をおんぶして登校する上級生もいました。

  しかし、その一方残念なこともあります。大きな声で挨拶してくれた子たちの声がめっきり小さくなったことです。地域の方から挨拶ができなくなったねえというのも声も届いています。優しさが声にならない、これは悲しい風景です。

  大きな声を出すことは、人とつながることはもちろん、自分の身を守ったり、だれかのいのちを救ったりと、大切な行為です。昨日の福岡ウォークでは、元気な挨拶が校区にとどろいていました。この声が毎日続くといいなと思いながら、手をつないだ2年生と4年生の子たちの背中を見つめていました。
 

メッセージ

 頑張って今も咲いている1年生のアサガオの花。その鉢植えの前にある畑に、そのアサガオをまねるかのように、謎のうす紫の花が咲きました。何だろうと、1年生の子に尋ねてみますと、「サツマイモ」と返ってきました。

 サツマイモの花、ううん、見たことない。

 生活科の先生に調べてもらうと、サツマイモの花は、沖縄以外では咲かないそうです。……ただ干ばつがひどかったり、猛暑であったりすると、まれに花が咲くことがあると教えてくれました。ああ、そういえば今年の夏の暑さもかなりのものでした。健気に咲くその姿は、夏の酷暑に耐えぬいたという力強いメッセージなのかもしれません。

 さて、福岡ウォークが近づいてきました。

 元気いっぱいの2年生は、練習も兼ねて、校区探検に出発しました。

 潮音寺では、塩満保育園の園長先生にその歴史を聞きました。

 今から約75年前、豊橋空襲でほとんどが消失された中で、唯一火災を免れたのが、山門。その中には、恐ろしい形相で立ち尽くす一対の仁王像があります。その仁王像ににらまれてか、子どもたちもいつになくおとなしく座っていました。像の前に吊るしてあるわらじは、裸足の仁王様を気遣って、地域の方が編んで吊るしてくれたと話がありました。

 人々の思いを受け止め、阿吽の呼吸で、地域を守り続けてきた仁王像。彼らも、戦争当時戦火で燃える市街を目の当たりにして、その表情どおり怒りに満ちていたことでしょう。そう考えると、焼け残った仁王像は、私たちに戦争の悲惨さを伝えるひとつのメッセージのようにも思えてきます。

 いよいよ3日は、福岡ウォーク。福岡校区の街並みに残る風景には、さまざまなメッセージが隠れています。2年生、4年生の皆さん、歩いて、ふれて、考えて、福岡校区の声を聞いてみて下さい。



 

 

 

白いテープ


 わんぱくタイムになりました。ふれあいルームは、トーチ棒を手にした子どもたちがなだれこんできました。間近に迫った野外活動のファイヤーのトーチトワリングの練習です。それぞれが、思い思いにトーチ棒を指に挟んで回し始めています。そこに瀬野尾先生が現れると、一気に頑張ろうという緊張感が高まります。さすが瀬野尾先生、彼の卓越した指導力に感銘を覚えます。ただ昨年度から雨男として一世を風靡した人ですので、当日の天候については一抹の不安がよぎります。映画で話題になった「天気の子」を呼んできたいものです。

 練習が始まりました。すると程なく練習の輪から抜けて、部屋の片隅で手に巻いてあったテープを巻き直している子がいます。ああ家庭や学校で練習を繰り返し、おそらく指の関節や指と指の間が棒で擦れて負傷しているのでしょう。痛いだろうなという心配をよそに、本人は痛がる様子を微塵も見せず急いで練習の輪に戻りました。そんなことを思って子どもたち全体を見渡すと、多くの子の真黒に日焼けした手元に、白いテープがまぶしく見えます。本物の炎を扱う恐怖や緊張を前に、本気になって取り組む子どもたち、その勲章のように白いテープは輝いています。

 時を同じくして、家庭科室では、カレーの調理実習が進んでいました。額に汗して、ジャガイモ皮むき、具材の煮込みに真剣に取り組む姿を見ていると、ここでも5年生の野外教育活動に寄せる思いの強さがひしひしと伝わってきます。カレー作りも万全なようです。

「あなたは、来年職がなくなるかもしれないから、料理でも勉強したら…」家庭で言われました。食欲の秋、料理などあまりしたことがない私の手も、白いテープに覆われているかもしれません。

スタートライン

 
 職員すら知らされなかった、8月17日清川康輔先生 結婚式の極秘情報は、どこから、どう伝わったのでしょうか。

 当日式場には、3年生、6年生、卒業生等と、彼が担任として関わった子どもたちが登場し、式に花を添えてくれました。子どもたちの笑顔や祝福の言葉に囲まれて、なんと二人は幸せそうな表情なのでしょう。彼の言葉を借りれば、こうして新しい人生のスタートラインに立ったことで、いかに周りの人たちに支えられて生きてこられたかがわかったそうです。

 結婚に限らず、人生においても、人は何度もスタートラインに立ちます。そしてそこで立ち止まることで、今までの人生を顧みたり、これからを展望してみたりと、視野が開けて新たな一歩が踏み出せるのです。

 さて、そのスタートラインと言えば、8月末、長年の願いが叶い、小池神社横に信号が設置されスタートしました。これまでここは、朝夕の車の通行量が多く、しかも若干カーブする道で見通しがよくなく、さらに加速して走る車も多く、校区で一番の危険箇所で、子どもたちの通学に危険が伴っていました。しかし、こうして、安心して横断歩道を渡る子どもたちの姿を見ていると、校区の自治会長さん、議員さんをはじめ、校区の皆様のご尽力、ご協力に対して感謝の言葉も尽きません。さっそうと立っている信号は、さながら清川先生と同じで、その陰に、多くの人たちの存在を感じます。信号機のついた横断歩道は短いですが、その数メートルに10年以上の人々の苦労が詰まっているのです。

 夏休みが終わりました。職員の吉報、校区の朗報に包まれて、また子どもたちの学校生活がはじまります。子どもたちは、スタートラインに立ち、夏休みをふりかえりつつ、新たな一歩を踏み出そうとしています。  
  









はじまりの美


  アルプスの少女ハイジという有名なアニメがあります。

 ハイジがある時おじいさんに「夕焼けはなぜこんなに美しいの?」と尋ねます。おじいさんは、「夕焼けは、お日様が山にお別れをする言葉だからさ。この世で一番美しいのは、お別れの時なんだよ」と有終の美の話をするのです。

 この話を思い出したのは、水泳部の子どもたちの練習を見ていた時です。7月のはじめ、「今年度水泳部を先行廃止し、来年度、陸上、球技、駅伝のすべての運動部を廃止する」という市教委の方針に、子どもたちの姿が、沈みゆく太陽のように思えたのかもしれません。

 実際に、目の前の子どもたちはというと、水をかき、水をけり、懸命に泳いでいます。その動きに触発され、まわりの子たちからは、自然と「がんばれ」「いいぞ」と水しぶきといっしょに声があがります。そして、ついにゴール。水面から現れた真黒な顔、そして疲れ切った表情の中にある瞳の輝き。なんとも言えぬ強さを放っていました。ああ、「有終の美」なのかなあと思えてしまいました。

 8月3日の最後の大会は、本当によく頑張りました。


 さて、その一方、グランドや体育館の球技部も動き出しています。「おはようございます」と、今日も元気な声をかけてくれました。上手な子も、そうでない子もいます。技術はどうであれ、やる気に満ちた姿は、美しく、未来を感じさせます。部活動は廃止の道をたどりますが、彼らにとってのスポーツ人生は始まったばかりです。夕日ではありません、朝日のような「はじまりの美」なのです。

対岸の声

 5年3組のおたより「コスモス」に「珠美の人生日記」のコーナーがあります。岩瀬先生が、日々子どもたちとのかかわりの中で、さまざまな思いが綴られています。私もひとりの読者として、毎週楽しみにしています。

 その中に、A子さんのことが書かれていました。彼女は、泳ぎが得意ではないらしく「水泳特訓をしています。」とありました。そして、人生日記は続きます。「人に頼らずひたすら頑張って泳ぐ彼女を見ていたら、先生も何か挑戦できるものを見つけたいと思いました。」と…。岩瀬先生は、A子さんの泳ぐ姿に、勇気や元気をもらったようでした。

 岩瀬先生のこの気持ちは、私にもわかります。それは、朝の登校風景でした。私が本校に赴任したころは、子どもたちと出会っても、恥ずかしさが先だって、下を向いて歩いていってしまう子が多くいました。しかし、先日のことです。国道259号線の歩道に立っていると、「おはようございます」という元気な声が聞こえてくるではありませんか。声の方に目を向けてみますと、行き交うたくさんの車の間から、子どもたちのたくさんの笑顔がのぞいていました。この通学班の子たちは、反対側の歩道にいる私を見つけて、声をかけてくれたのでした。車の騒音を越えて届けてくれた元気いっぱいの贈り物に、私も岩瀬先生と同じように、今日頑張ろうという元気や勇気をいただいたのでした。

 いよいよ夏休みを迎えます。全校朝会でも話したように、子どもたちは、本当によく頑張ったと思います。が、忘れてはならないのは、頑張った自分のすぐ近くには、A子さんやあの通学班の子たちのような勇気や元気を与えてくれる存在がいたのではないでしょうか。

 交通事故、不審者、熱中症、異常気象と、子どもの取り巻く環境は必ずしも万全とは言えません。友達や先生とのつながりを忘れず、安全に元気いっぱいの夏休みを過ごしてほしいと願っています。