日誌

全校

遊んでくれてありがとう


 2月も後半。春の気配に、校庭の河津桜も開花し始めました。私も、春の陽気に誘われたわけでもありませんが、長放課になると、校内を回ることにしています。放課時の子どもたちは、授業中には見せなかった素顔が見え、とても楽しいものです。まず何より清々しいのは、子どもたちが「こんにちは」と挨拶を交わしてくれることです。朝の眠そうな「おはようございます」に比べ、元気な「こんにちは」は親近感が沸いてきます。

 さて、この日は、和太鼓の鳴る音が聞こえてきました。行ってみると、新入部員の子たちが、横笛や太鼓の練習中でした。なんとか先輩に追いつこうと懸命でした。音楽室では電子オルガンの練習をしている子も見かけました。これも、何か発表があるのでしょうか。さらに教室はというと、さすがに人数は少ないですが、ノートに朱書きをいれている先生に話しかける子どもたちの輪ができていました。担任の先生は、休む暇がありません。

 5年生の学習室では、5年生が「6年生を送る会」に向けて、準備の真っ最中でした。いよいよ最高学年の自覚が感じられました。よろしくお願いします。

 その部屋の床に、大きな掲示物か寝かされています。見てみると、無数の「ありがとうメッセージ」が貼られているではありませんか。

 1年生のありがとうメッセージを一つ一つ読むと、「いつも遊んでくれてありがとう」「おにごっこしてくれてありがとう」「おんぶやだっこをしてくれてありがとう」と6年生への感謝がいっぱい詰まっていました。

 その6年生はどうだろうと見てみると、やはり1年生に向けたたくさんのメッセージがありました。意外だったのは、1年生に対して「遊んでくれてありがとう」という6年生のコメントが多かったことです。「遊んであげた」と書かず「遊んでくれた」と書いたところに、6年生の優しさ、素朴さを感じずにはいられませんでした。

 「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉は、使えば使うだけ優しくなるものです。今、福岡っ子は、メッセージを書くことで、またひとつ優しくなっているのです。

善行の花


 朝、ゴミ袋を持って、ゴミステーションに向かう子どもをよく見かけます。当たり前のことかもしれませんが、家族の一員として、働いているなあと、ほっとする瞬間です。よいおこないです。

 よいおこないと言えば、昨年6月、本校は、地域貢献という項目で、日本善行会から表彰を受けました。このことは、以前の良友でお知らせさせていただきました。地域の人たちに支えられた栄えある賞でした。その賞をいただいたおかげと言いますか、その後地域の方からさまざまなお褒めの声が届いています。

 なまず池の掃除を手伝ってくれたという5年生、逃げ出した飼い犬を保護してくれた6年生と3年生、スポーツ広場を大切に使っている子どもたちと隣接する花壇の手入れを手伝ってくれた1年生、そして、下校途中けがをした子どもの世話をしてくれた高学年の子などです。

 地域からの声がなかったら、これらの善行は、埋もれていたかもしれません。地域の皆さんによって、子どものよいおこないが日の目を見たと思うと、その心遣いに感謝せずにはいられません。ありがとうございました。

 ただその一方で、子どもたちが、よいおこないばかりしているわけではありません。交通ルールを守らない、下校が危険、公共物を大切に扱わないとか、課題があることも事実です。 

 立春を迎え、花壇では、用務員さんが育てた菜の花がほころびはじめています。3月の声を聞く頃には、満開になっているでしょう。花一輪一輪が次々と開き、少しずつ地面を埋めていくように、善行の花を一つ一つ咲かせて、欠点や短所が見えなくなることを、菜の花を見ながら祈っています。

朝の優しい時間

 毎週火曜日の朝は、読み聞かせの時間です。教室では、子どもたちが車座になって、図書ボランティアの方を待っています。図書ボラのお母さんたちは、毎週家庭や市の図書館、本屋さんで選んだ、とっておきの話を持参してくださいます。

 お話が始まりますと、ざわついていた空気も、魔法をかけたようにしいんと静まります。先生たちも、子どもの輪に中に座り込んで、子どもの目線で子どもといっしょに、お話の世界に入っていきます。低学年の子の中には、先生の膝の中に入って、親子のように聴き入っている姿もあります。一日の中で、教室の空気が、学級から家族に変わるのはこのときです。

 読み聞かせをしてくださる方もさまざまです。登場人物と地の文で声色を変え、臨場感豊かに読むお母さん、あえてたんたんと朗読し、子どもの想像力をかきたてるお母さん、クイズや子どもへの語りかけをして、子どもの反応を楽しみながら、話をすすめるお母さん。先日は、男性の方もサポートに来ていただきました。さすがお父さん、抑揚と迫力のある語り口に、すっかり子どもたちはとりこになっていました。

なかには、入学前のお子さんを連れて、お話を聞かせてくれる方もいます。お話が始まると、そのちびっこもお母さんの方に向きを変えていっしょにお話を聞いています。はじめはこの子に「かわいい」とつぶやいた女の子たちも、その様子にあわてて、お母さんに視線を向けます。

 子どもたちが、落ち着いて安全に、一日のスタートを切れるのも、こうした優しい時間をくぐっているからだと思います。図書ボラだけではありません。さまざまな校区の方たちが、授業や行事や環境整備に関わってくださり、目に見えない心の栄養をいただいて、子どもは成長していくのでしょう。いつもありがとうございます。

 ところで、先日行った学校評価アンケートでは、図書館の利用の少ない傾向が表れていました。今、図書館では、節分、バレンタインと、春に向かって飾りつけがされています。本市でも有数の本校図書館の利用を、全職員で充実させたいと取り組んでいるさなかです。  

きっかけをつくる人に


 放課になると、校庭に星野源の「アイデア」というという曲が流れます。朝ドラの軽快な音楽とともに、一斉に子どもたちが運動場に飛び出していきます。23日の長縄大会に向けて、練習は佳境を迎えています。遠くから見ると、広いグランドという海が波打つように、あちこちで長縄の波が生まれています。

 本番まで一週間を切りました。それぞれの学年の掲示板には、福岡ギネス記録とともに、現在の記録が書き込まれています。117日現在の最高記録は、あすなろ298回、1年生が299回を、2年生251回、3年生303回、4年生414回、5年生674回、6年生568回と記されていました。記録は、随時書き直され、数字をふき消したプレートの汚れが、日々の記録更新を物語っています。とりわけ6年生は、最後の大会ということで、学年掲示にも「クラスでまとまる」「みんなで楽しむ」「友達のよさを見つける」「体力をつける」「声をかけあう」ように、大会に寄せる意気込みが並んでいました。

 実際にそれぞれの長縄に寄ってみますと、低学年の子の中には、まだまだ縄に飛び込むことに躊躇している子もいます。すると、どうでしょう。後ろの子が飛び込むタイミングを推し量って、そっと背中を押しているではありませんか。つんのめるほど強くなく、戸惑うような弱さでもなく、絶妙の強さに優しさがありました。また、中学年や高学年においても、「ハイ、ハイ、ハイ」と声でリズムをとって、クラス全体で飛び込むきっかけを作っていました。

 人が成長するときは、きっかけがあるものです。自転車に初めて乗れたときも、跳び箱を初めて跳べたときも、おそらくそうだったでしょう。世界で活躍する野球の大谷選手も、将棋界で活躍する藤井七段も、こんにちがあるのは、飛躍のきっかけとなった出会いがあったに違いありません。私たちは、成功した人に目を向け、称賛を送りがちですが、その陰にいる人や集団の存在を忘れてはならないと感じています  

特別な思いをもって


 年明け早々、和太鼓部の子どもたちは、成人式に向けて、練習をスタートさせています。新成人を迎えた先輩たちへのはなむけとして、和太鼓演奏は、本校では、恒例のイベントになっています。

真冬の冷たい空気の中、儀式の前座という緊張感あふれる場で、しかも冬休みがあり練習不足を否めない状況での演奏は、さぞ大変なことでしょう。子どもたちは、そうしたリスクをバチでふるい落とすかのように、テンポや間合いを確かめながら、熱の入った練習に励んでいました。

 新成人の皆さんは、今から8年前、平成23年に本校を卒業した子どもたちです。この年は、3月11日、東日本大震災が東北地方を襲い、多くの人々が尊い命を失いました。その中には、卒業式を前に津波にのみこまれ、今年成人式を迎えられない同学年の人たちもいたはずです。そう考えると、大人になるという、いかにも当たり前のことが、特別なことに思えてなりません。

 和太鼓部の6年生も、これまで当たり前に練習してきた毎日が、卒業と同時になくなるわけです。彼ら自身、最後の発表の場として、特別な思いをもって演奏に臨んでくれるに違いありません。また、和太鼓部でなくても、6年生の皆さんも同様です。小学校生活という当たり前だった毎日が、卒業というゴールが見えてきたとき、急にかけがえのない時間に思えてくるものです。ぜひ、1日1日大切に過ごしてほしいと思います。

 みなさんが成人式を迎えるころは、どんな時代が、どんな世の中が訪れているでしょうか。平成の最後の今、あなたの夢を新たな時代に向かって掲げてみてください。  

自信の種

 老人会のみなさんをお招きし、昔遊びの会を行いました。

 体育館では、だるま落とし、めんこ、けん玉、ぎしぎしとんぼ、竹とんぼ、ヨーヨー、折り紙、おはじき、お手玉、あやとり、コマと、さまざまな昔遊びが用意され、1年生とが関わり合う場がひろがっていました。

 はじめの式が終わり、いよいよ始まりです。

 各コーナーに赴いた1年生にとっては、はじめての経験、不安や緊張をまとって、遊び道具を手にとったことでしょう。もしかしたら躊躇していたかもしれない。しかし、お年寄りの皆さんの励ましと笑顔に背中を押され、「勇気を出してトライ」の言葉通り、挑戦をしました。

 一回ではできなかったかもしれない。でも何回か繰り返しているうちにコツを覚え、たまたまできたその一回に、お年寄りが「すごい、すごい」のほめほめシャワーを浴びせます。その言葉に子どもは大喜び、その一回が大切な自信につながっていきました。

 子どもたちは、こんなふうに、体験を通して自信の種を心に植えながら成長していきます。それは、ゲームでは味わえない感覚です。そして、その種が芽吹き、いつか「鉄棒で逆上がりができたよ」「縄跳びで二重跳びが跳べたよ」「フラフープができたよ」「自転車が乗れたよと」いうように、さまざまな「できた」の花を咲かせていくのです。

 時を同じくして、校長室では、2年生の九九検定がスタートしました。学校探検以来の入室に緊張は隠せません。言い始めの4の段は、いつもは楽勝なのに、少しもたつきます。それでも、難関の7の段を言い切り、認定証を手にしたその笑顔は、昔遊びの顔と、どこか似ている気がしました。

 校長室でも、寒い冬とはいえ、「できた」の花が、満開になっています。

走るということ

 12月になりました。先生方が忙しそうに走っている姿を見ると、まさに師走だなあと感じます。

 しかし、子どもたちも今、教員に負けないくらい走っています。校内持久走大会や駅伝大会を間近に控え、一日中、校庭は、白熱した走りに包まれます。

まず、午前のかけあしタイムでは、運動場を全校児童が走ります。先生たちが逆走してすれ違う子に声をかけ続けたり、ペースメーカーとなって子どもたちを先導したりと、走りに手抜きがないように、厳しくも温かいまなざしや励ましが子どもたちの心をとらえます。

次に、昼放課は自主練習です。ドッチビーや鬼ごっこなどで遊んでいる子のまわりを走っています。高学年と低学年が仲良く走る姿は、なんと微笑ましいことでしょう。お兄さん、お姉さんと走る低学年も、かわいい弟、妹たちと走る高学年の表情も、笑顔があふれ、とても幸せそうです。

最後に、夕方の部活動。ただ黙々と走り込んでいる姿は、厳しい自分との闘いです。何周もグランドを回ります。周回ごとに、顧問の先生からの「あと20秒」「ペースを上げろ」の大声に、心のアクセルを踏んで、ペースを上げていく子どもたちがいます。時間との闘いです。そして、ついにラスト一周、走り終えた仲間たちから「がんばれ」「ファイト」という声がとどろきます。その声に、歯を食いしばって再び手をふり、足をあげます。仲間が待ち受けるゴールに、駆けこんでいく風景は、西日に照らされてとても美しく感じます。

 走ることは人生とよく似ています。毎日同じようでも決して同じでない一周一周を、いろいろな人やことばと出会いながら、心や力を磨いていくのです。

アリガトウノカタチ

福岡っ子発表会の4年生「イノチノカタチ」の中で、「お父さん、お母さん、ありがとう」という台詞が心に残りました。10歳の節目を迎える4年生にとって、いのちの重さを学び、自分の成長を見つめたとき、そこにはかけがえのない父さん、母さんの存在があった。そんな感謝の心が演技に表れていました。

道徳科が教科になり、感謝の心を教えるわけですが、授業の中でその心はなかなか育つものではありません。やはり「ありがとう」という言葉を使ったり、行動に示したりと形にして、人は育つのでしょう。

給食終了後の配膳室を話題にします。配膳室の前に一列に並んだ子どもたちが、一斉に「ありがとうございました 今日も美味しかったです」元気のよい感謝の気持ちを伝えます。室内にさわやかな空気が流れ、給食従業員の定盛さん、牧野さんや栄養教諭の近藤先生も、一瞬動きを止めて、その声に笑顔で応えてくれます。が、挨拶がすむと、彼女たちはすぐさま動き出します。センターから食器回収に来るのが、13:3015分足らずですべての作業を完了しなければならないからです。傍から見ていると、牛乳もそうですが、全クラスの食缶を一つ一つ逆さにして残食を他の容器に集める作業がいかにも大変そうです。なかには残食のたくさん入った重そうな食缶もありました。空にした食缶や食器のかごは、大きなコンテナに載せられ、外に運び出されてトラックの来るのを待ちます。そんな手際のよい一連の動きに、給食委員の子たちも協力してくれているのです。これもアリガトウの形です。

 クラスで残食を減らすことは、自らの健康とともに、給食の従業員さんを楽にしてあげることにもつながる。これもアリガトウを形にすることだったのです。  

待ってました


 給食の配膳車を押して、職員室前を悠然と歩む老人がいました。長いひげに、黄色い和帽子、そして袴、よく見ればご老公様ではありませんか。今年の福岡っ子発表会、あすなろ学級の出し物は、木原和子脚本「水戸黄門」だそうです。ご老公様は、このあとすぐの体育館練習に備え先に衣装を着替え、格さんと助さんをしたがえ、食器の片づけに向かう道中だったのです。

 さっそく私もその姿に誘われて体育館を覗いてみますと、舞台には、ご老公一行、村人、盗人に扮したあすなろ学級の子どもたちが元気いっぱい演技をしていました。

この水戸黄門のドラマは、私が幼いころから放映されており、何代か主演男優がかわりながら平成時代まで続いています。クライマックスの時間帯になると、「控えおろう、……この紋どころが目に入らぬか」とかざした印籠に、これまで躍動感にあふれた空気が一転静まり、おきまりのBGMとともに、ひれ伏す悪者たちの光景が印象的です。待ってました!と言わんばかりに、心がスカッとしたことを覚えています。私たちは、この瞬間をいつも待っていたのでした。

 福岡っ子発表会に向けて、今練習の佳境を迎えています。各学年、黄門様のような主役は、一握りの子かもしれませんが、すべての子ども一人一人にストーリーがあり、クライマックスがあります。子どもたちは、自分の出番に備えて、台詞を心の中で何度も復唱し、そして、きたるべきそのとき、動きや表情を添えて力いっぱい表現するのです。保護者の皆様は、印籠をかかげるような思いで語る、我が子の出番に、ひれ伏す必要はありませんが、拍手や笑い、涙を届けていただけるとありがたいと思います。         

声を出して失敗を取り返す


 
 サッカーの決勝トーナメントが東田小学校で開かれた。本校は幸小と対戦。幸小は、テクニック、キック力に優れ、何度も福岡のゴールを脅かした。本校の子どもたちは、ボールに喰らいつき、全員でゴールを死守し、そこから全員で懸命に走った。結局、0対1で敗れたが、ナイスゲームであった。

 前々日の金曜日は、最後の練習だった。西日を浴びながら、広いグランドを駆けまわる選手たちがいた。最後だから自分の目に収めようと外に出ると、「こんにちは」と大きな挨拶が聞こえた。この日は、ゲーム形式の練習だった。時間短縮のために、コート外に出てしまったボールは追うことをせず、ストックしてあるボールを次々とコート内に蹴りこみ、途切れることのない練習を続けた。挨拶のお礼でもないが、コートの外に点々と転がるボールを拾い集めることにした。幼い頃、こうして夢中になって球拾いして、サッカーが楽しくて楽しくて仕方がないことを思い出していた。そんなときコートの中から「声を出して 失敗を取り返せ!!」と大きな声が響いた。ミスした子へのチームメイトの呼びかけである。失敗はだれにでもある。コミュニケーションを取り合って、ピンチを乗り越えようという意味なのだろう。その声に反応したのか、一声返して走り出した子どもがいた。勢いのある練習風景だった。

 決勝トーナメント、相手の巧みなプレーと強力な守りに、確かにミスはあった。しかし、声を出して合って、カバーする姿は、一昨日の練習そのままであった。

 「声を出して失敗を取り返せ。」子どもだけでなく、私たち大人が、人と関わって生きていく上で通じるこの精神は、私がグランドで拾った珠玉の言葉である。