日誌

全校

子どもたちの心に救われて

 職員室前にありがとうメッセージのコーナーがあります。満開のカラフルなメッセージカードは、まるで春の花畑を思わせてくれます。メッセージをひとつひとつ読むことにしました。

「笑顔いっぱいの毎日にしてくれてありがとう」

「いつも声をかけてくれてありがとう。前のペア交流楽しかったよ」

「みんなの笑顔に、いつも元気をもらっているよ」

「いつも笑顔で話しかけてくれてありがとう。おかげで自分も笑顔になるよ」

 なんと優しく温かいことばなのでしょう。これらは、すべて下級生に向けた6年生のメッセージです。いつも下級生に親切にお世話をしていた6年生が、あるとき自分も元気で優しくなれていた。そんな成長の自覚が感じられます。

 今、新型コロナウィルスの感染の影響で、さまざまなイベントや集まりが縮小、中止され、世の中はたいへん重苦しいものになっています。そして、そのことは、学校現場にも暗い影を落とし、3月2日より国からの指示で、小中学校が休校措置をとることになりました。

 日本は、東日本大震災をはじめ、震災や台風、竜巻、水害など、たくさんの試練に対して、人々の力で乗り越えてきました。まだ豊橋市には感染者の発表はありませんし、どこまでコロナウィルスの波が来ているかわかりませんが、この苦境をみんなの力で乗り越えていけたらと思います。

 今日まで、学校では、6年生は卒業に向けて、在校生は6年生を送る会に向けて、「ありがとう」の気持ちを、いろいろな形やことば、姿にして表そうと動き出してきました。この優しい温かい気持ちが天に届き、コロナの影を払しょくできればと祈ります。
 保護者の皆様、これまで本校の教育活動に対して、ご理解、ご協力ありがとうございました

ありがとうの種

 あすなろ学級では、13日からあすなろ郵便が始まりました。教室前では、キャップを手にした子どもたちが、ハガキを買おうと行列になっていました。盛況です。今年は、「ありがとういっぱい月間」の企画としてPR委員会とコラボして、黄色のありがとうハガキも販売するそうです。

  2月は、後半に、お世話になった地域や保護者の皆さんを招待して「ありがとう集会」が企画され、その後6年生に感謝する「6年生を送る会」へと続いていきます。2月という厳寒の時期でありながら、ありがとうの言葉と気持ちで心は一気に温かくなるでしょう。

 温かくなるといえば、来年度から完備されるエアコンの工事も大詰めを迎えています。すべてのクラスにエアコンがつけられる大工事でありながら、これだけ静かに進められたのも、訳があります。それは、音がする工事は、土日で行われ、子どもたちの勉強に支障がないように配慮してくれたのです。現場で働く青年の中には、沖縄の石垣島から出稼ぎにきている方もあり、休日も一生懸命働いてくださることにも感謝です。

  書館にもエアコンがつきます。快適な環境で読書が進められると思われますが、よく見てみると、バレンタインや図書委員のお薦めコーナーがあり、エアコンがなくても心温まる環境づくりが、司書さんやボランティアさんの手によってなされています。

  このように、学校には、至るところに「ありがとうの種」が蒔かれているのです。

  「ありがとういっぱい月間」です。私たちは、感謝すること以上に、まず私たちの生活に散りばめられている「ありがとうの種」を見つけることが大切ではないでしょうか。そして、そのお礼を届けることで、ありがとうの花が満開になるといいと思っています。 

笑顔の花

 

  立春を過ぎました。先日芽を出したばかりと思った一年生のチューリップは、葉を広げ始めました。用務員さんらが卒業式に向けて育てているパンジーも、温室で順調に大きくなっています。校庭を歩くと、スイセンの白、菜の花の黄、ツバキやサザンカの赤が、色鮮やかに目に飛び込んできました。一棟前にあるカワヅザクラは、つぼみが開き始め、春の訪れを知らせてくれています。春に向かっての準備が刻々と進んでいるようです。

 わんぱくタイムになると、校舎から一斉に子どもたちが飛び出してきました。運動場の広さは、市内で随一を誇る本校ですが、その運動場が子どもたちで埋め尽くされます。

  今日は、先生とドッジボールをする子、サッカーやバスケットボールに興じる子、おにごっこでボール遊びをする友の間をすり抜けていく子、大イチョウの前の縄跳び台で順番を待ちながら、二重跳びやはやぶさに挑戦する子、ブランコや雲てい、小さ山、スペシャル号の遊び場で体を動かす子と、この広い運動場が所狭ししと、子どもたちは動き回っています。その中には、さきほどの授業とは別人のように笑顔と瞳の輝きを放つ子もいます。カメラを向けると、ピースをしながらポーズをとってくれました。

 このように、春の花のたよりよりも一足先に、校庭では、子どもたちの笑顔の花が満開を迎えています。部活動が廃止され運動不足が懸念される時代の流れで、福岡っ子の元気さ、たくましさにふれ、心がほっとするひと時です。

成長を刻む

 玄関に、第十回卒業記念として寄贈された柱時計があります。これを用務員さんが修理してくれ、再び時が動き始めました。玄関では、チクタクチクタクと静かに振り子が振れる空間に、著名な画家の高畑郁子氏や星野眞吾氏の絵画が掲げられています。その絵を眺めていると、時を超えて高畑、星野ご夫婦の声が聞こえてくるようです。また校長室にいると、定時になると、ボンボンと、この柱時計が時を知らせてくれています。子どもたちは、あと2か月で、卒業や進級です。この柱時計の音色に、残された時の大切さを改めて感じます。

 

 わんぱくタイムになりました。あすなろ学級を覗いてみました。今日は、子どもたちが読み聞かせを披露してくれる「おはなしのへや」だそうです。内容は、お弁当の話とおおかみの話でした。自分の体ぐらい大きな手作りの絵本を抱えた子どもたちは、満員になった観客の子どもたちに、堂々と語っています。その一言一言のたくましさに成長を感じます。

 思えば4月当初、子どもたちは、大変な恥ずかしがり屋で、ものかげに隠れてしまったり、小さな声で聞こえなかったりしていたことを思い出しました。彼らの成長は、いつ、どこで、どんなきっかけがあったかは分かりませんが、気がつけば、子どもたちは、あのころからずいぶん遠くに来ることができたなあと実感しています。

 「継続は力なり」と言います。あすなろの子たちは、本校の子どもたちとはもちろん、南部中、栄小、聾学校、高倉幼稚園と、多くの人たちとの交流を繰り返し、自信をつけています。柱時計の振り子が時を刻むように、たゆまぬ一歩一歩がそこにはあるのです。 

ながなわの詩


 
いきたいけど こわくて いけない

タイミングは わかっているけど

こわくていけない

まわる なわは、へびのよう

ゆうきを 出して 目を あけて

走ってみたら とべていた

 

 これは3年生の子が書いた詩です。

 今来週に迫った長縄大会に向けて、わんぱくタイムや昼放課において、練習が佳境を迎えています。音楽に合わせて、その跳ぶ姿は、以前に比べずいぶんスムーズになりました。3年生の子どもたちは、学年全体でうまく跳びたいと願い、その秘訣を「走りぬける」「なわの真ん中を通る」「リズムよくなわに入る」と掲げました。

 しかし、そうはいうものの、苦手な子にとっては、やはり至難の業です。「いきたいけど、こわくていけない」「まわるなわは へびのよう」というように、子どもの行く手には、津波のような縄が立ちはだかります。そして、子どもはというと、ヘビににらまれたカエルのように固まってしまっています。

 そんなとき、きまって現れるのが救世主です。子どもたちの姿を見ていると、あるクラスは、友達が跳ぶタイミングを教えようと声をかけ、またあるクラスでは、跳ぶ瞬間に背中をポンとたたいて送り出しています。カエルになってしまった当事者も、どうしよう、どうしようと迷っているうちに、友達や先生の後押しで「走ってみたら とべていた」と、あっ気ない幕切れを迎えています。

 過ぎ去ってしまえば、案外簡単。しかし、大人たちは、そのあっ気ない記憶に、跳ぶまでの緊張や恐怖を忘れ「あんなの簡単だよ」「すぐできる」と言いがちです。試練の近くには、いつだって神様がいる。私たちが忘れてはいけない教訓です。

大きくなったなあ


 令和2年がスタートしました。2棟の前に植えられた菜の花も、ところどころ花が開き始め、寒々とした空気が緩んできています。春は近づいてきているようです。

 さて、1月7日、冬休み明け集会が開かれました。

私は全校児童に話をした後、フロアの後ろに座っている高学年のところに行ってみました。さすが5,6年生、係の先生の話に真剣に耳を傾けています。そして最後に校歌を歌う場面になりました。号令のもと、立ち上がった彼らの後姿を見て、驚きました。12月末からまだ半月ほどしか経っていないのに、子どもたちがずいぶん大きく見えたのです。成長期は、子どもによっては、半年に5、6㎝も伸び、急激に成長する子もいます。しかし、新しい年を迎え、やがて中学生として、あるいは最高学年として歩まなければならない自覚が、彼らを大きく見せたのかもしれません。

 人の成長には、大きく飛躍する時ときっかけというものがあるものです。それは、準備されて訪れるものとは限りません。ある時偶然であったり突然であったりするものです。

卒業や新学年まであと3か月を切りました。さっそく体育館では、PR委員会のPR大会が開かれていました。自分の趣味や特技を披露するものですが、大衆の面前でそれを行うとなると、なかなか勇気がいるものです。何かを挑戦したり、継続したりする中で、この子の伸びるときを待ちたいと思っています。

 また校長室では、2年生九九検定が続いています。家庭や教室ではできるのに、ここに来ると緊張して覚えたものが飛んでしまう子もいます。できる、できないではなく、緊張感を乗り越えた向こう側に成長があると信じ、子どもたちと日々向き合っているところです。 

パプリカ合唱隊


  保護者の皆さんから、「挨拶が進んでできない」というアンケート結果をいただきました。そうした声を受けてか、3年生、5年生では、総合の授業や学級会で、挨拶について話し合い時間をもってくれました。教室ではやる気満々の子どもたちです。さあ、学校の外では……

 その週の寒い朝のことです。太田スポーツから上ってくる坂道より、何やら声が聞こえてきます。耳を澄まして聞いてみると、どこかで聞き覚えのある歌です。それも一人の声ではなく、何人かの歌声です。その朝は、冷え込みが厳しく、立っているだけで寒さがぞくぞくと身に染みてきます。私は凍えながら、彼らがこちらに来るのを待つことにしました。坂道を上ってくる彼らは、明るく笑顔でこちらに近づいてきます。寒さなど微塵も感じていないようです。

坂道を上りきると、その歌声はさらに大きく聞こえました。さあ、いよいよ曲のサビの部分に入ろうとしたとき、私の姿を認めた子どもたちは、急に歌うのをやめ、大きな声で叫びました。

「おはようございます」

「ああ、おはようございます」と私は挨拶を返し、「何という曲?」と聞くと、子どもたちは一斉に笑顔で「パプリカ」と答えてくれました。

その後、子どもたちは、角を曲がり、西門に向かいました。そして、しばらくすると、再びパプリカが始まりました。私は、後ろ姿を眺めながら、彼らを「パプリカ合唱隊」と勝手に名づけました。寒い朝でしたが、合唱隊の元気な歌声と挨拶に、何とも気持ちのよい朝となりました。 

  冬場の登校は、冷たく気が重いもの、おそらくパプリカ合唱隊の中にも、そういう子はいたに違いありません。しかし、歌声と仲間の力で、元気な朝を迎えることができたのです。見ると合唱隊は、今はもう学校に到着するところでした。 

マラソンの宝物


 今年度本校に赴任した川島先生は、マラソンが趣味だそうです。日本各地のマラソン大会に参加している、42.195㎞を走るまさしくレジェンドです。「あんなにつらい競技、なぜ走り続けるの?」と私が聞くと、「走るのが楽しいから」と答えがあっさりと返ってきました。どんなことに対してもやはり「好きである」ことが向上の第一歩であると、改めてわかります。

  さて、今年の校内持久走大会は、風もない小春日和の11日に実施できました。昨年は、インフルエンザ流行により学級閉鎖もありで、年越しをして実施した学年もあったことを思えば、今年は最高のコンディションであったと言えます。

 とはいえ、川島先生のように「楽しく走る」境地には、子どもたちはまだほど遠いらしく、顔をしかめ苦痛にあえぐ顔や、涙を浮かべて悲嘆にくれる顔と、私の前を走りゆく顔は、どう見ても楽しそうではありません。楽しい境地は、もう少し時間がかかりそうです。

 今年のマラソンも、順位や記録といった結果だけでなく、悲喜こもごものドラマがありました。

   休日も学校に来て練習を続けた子、友達についていこうと懸命に友の背中を追った子、ライバルに敗れ、悔し涙を流した子、疲れて倒れたが先生の言葉に復活し再び走り始めた子、去年は伴奏者がいたが今年は自力で走った子、そして、友達のために声を枯らして応援した子など、そこには、順位、記録という器からはこぼれ落ちても、さんさんと輝いているものがあります。その放っておけばうずもれてしまう宝物を拾って、本人に「がんばったね」と言葉で返してあげるのが大人の仕事です。

 保護者の皆さん、ご来校ありがとうございました。わたしたち教職員が、拾いきれなかった我が子の輝きを、ぜひご家庭で届けてあげてください。

舞い散るイチョウの葉を見つめて

 

   陽光に照らされながら、黄金色に染まったイチョウの葉が、はらはらと舞っています。その中を子どもたちは走りぬけていきます。

かけ足訓練が始まりました。イチョウの樹は、眼下にこうした子どもたちの頑張る姿を眺めて毎年葉を落としているのでしょうか。樹の根元では、今日も用務員さんが朝から竹ぼうきや熊手で落ち葉をかき集め、軽トラックにのせています。ご苦労様です。

   落ち葉舞う光景を見ていたら、先日行われた特別支援学級の「クリスマスの集い」を思い出しました。総合体育館で行われたこの会のクライマックスは、体育館の天井から舞い落ちる紙吹雪です。その紙吹雪の風景が、落ち葉舞い散る本校のそれと重なったのです。会場が暗くなり、雪のような紙吹雪がひらひらと落ちてきます。市内の特別支援学級の子どもたちは、両手を広げながら歓声をあげています。そして、会場が明るくなると、フロア一帯は 紙吹雪の雪景色が広がっています。

   アナウンスとともに雪合戦が始まりました。よく見ると、一片一片の紙きれは、形がさまざまです。四角もあれば三角もあり、いびつな形もあります。その形の一片一片に、子どもたちが雑紙を細かく切り準備した姿が浮かび上がります。これだけ膨大な量ですので、たくさんの時間を要したに違いありません。放課も使いながら、子どもと先生が車座になって会話を楽しみながら切り続ける光景が見えるようです。紙吹雪が美しく見えるのは、楽しかった先生とのふれあいの思い出もあるからではないでしょうか。

 会場にはたくさんサンタクロースが集まりました。が、先日は、本校にもたくさんの方が訪れ、すてきなプレゼントをいただきました。「むかしあそびの会」です。校区のご老人が、めんこ、コマ、お手玉、けん玉、あやとりなどと、さまざまな遊びを教えてくれました。会場は、「クリスマスの集い」と同じように、1年生の歓声がいつまでも響いていました。

ウインナーで考える


 「お店に売られているウインナーは、40種類あります」そんな先生の声に、教室がざわつきました。シャウエッセン、アルトバイエルン、あらびきポーク、パリッと朝食ウインナー、豊潤、香薫…と、子どもたちもそうでしょうが、私も、ウインナーにこれほど多くの仲間がいることをはじめて知りました。

先日、子どもたちは、家庭科の調理実習の食材選びに、マックスバリューの見学に行きました。野菜炒めを作るらしいのですが、そこで使うウインナーとしてどれがよいのか、改めて先生から本時の課題が突きつけられたのです。スーパーで何気なく手にとったウインナーに、なぜそれを選んだの?と言われても、私は困ります。しかし、そこは子どもたち。熟考し、根拠を導きます。私たちが日頃素通りしてしまうスーパーの陳列棚の一角が、こんなふうにおもしろい授業へと広がっていったのです。

 さて、本時のメインディッシュともいうべき、3種類のウインナーが丁重にお盆にのって登場しました。それを見て子どもたちは「食べたい」「試食」とつぶやきますが、先生はにやりと微笑んで「ダメです」と一喝。40種類から選ばれた選手は、A…お弁当のタコになって登場する、赤くてきれいで格段に安い品。C…私は食べたことのない一本35円もする、いかにも高級品。B…AとCの中間。私の家庭でも食べている庶民の品か。

   子どもたちは、話し合います。値段、大きさ、数量、使い道、産地、さまざまな観点から考えます。そして、ほとんどの子がBを選んだのです。選んだ根拠として興味深かったのは、「家でよく使う」「見慣れている」「親が美味しいと言った」等、家庭の香りがしたことです。やはり家庭こそが安心の拠り所なのでしょう。

   ただ、ここで引き下がるわけにはいきません。色合いが大切と意見が出たところで、先生は「安くて、赤くてきれいで。なぜAがダメなの」と追い込みます。子どもたちも負けてはいません。「安いからいいというものではない」と毅然と答えます。そして、「いいというもの」とは、何だろうか。見た目だけではなく、食品添加物に目が向いていくのでした。

 正解を出すことだけが学習ではありません。このように考えることが、新しい時代に見合った思考力を磨くということではないでしょうか。今度、我が子とスーパーに行ったとき、ぜひウインナーを選ばさせてあげてください。