日誌

全校

眼鏡 校長だより


なかぼしの時間

 

校長室には、水泳大会の優勝旗が飾られ、そのペナントに平成29年度福岡小学校の文字が輝いています。その活躍に触発されてか、グランドや体育館から今日も元気な声が聞こえてきます。球技大会に向けて、練習がスタートしたようです。

 が、ものごとはなかなか思い通りにいかないものです。練習試合から職員室に帰ってくる先生は、きまって声を枯らして顔を真っ赤にしています。試合の様子を聞いてみると、子どもたちの声より先生の叱咤激励の方が上回っていたようです。練習の成果はまだこれからというところです。

 9月がスタートしました。夏休み前全校児童に伝えた「小さな目標」はどれだけ実を結んだでしょうか。

実りといえば、先日おやじの会の皆さんによる稲刈りが行われました。田植えから4か月余り、金色の絨毯を彩る豊かな稲穂がこうべを垂らしていました。子どもたちは、その重さをその手に感じ取って、カマで刈り取りました。豊かな実りの背景には、「なかぼし」と言って水を枯らし、暑さにさらされるなかで、空気を吸収し根を広げる時が必要なようです。

 人の成長にも、このなかぼしのように、忍耐の時間が必要です。すぐに結果を求めず、心の根をはる時間を大切にしながら、実りのときを待ちたいと思います。

校長室の窓からは、はざかけされた稲穂が太陽の光に照らされ、輝いていました。

 

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 とびっきりの笑顔

 

夏休み第一日目泳力補充が行われた。泳力1mからの、いわゆる泳ぎが苦手な子22名が集まった。表情の硬い子と笑顔の先生の組み合わせはやや違和感があるが、これからはじまる物語に期待が高まるばかりだ。

 プールに広がるさまざまな練習の風景、ここまでここまでと自らが道標になり呼び込む先生、手本を示し、いっしょに泳ごうと意志表示をする先生、道具を使って子どもを引っ張り、泳ぐ感覚を養おうとする先生、さまざまな手法でこの子に泳力をつけようとする先生の姿がある。子どもたちは、その熱をしっかりくみ取って、必死に水面を滑り、知らぬ間にその距離は伸びていく。そして、先生の激励の声が最高潮に達したそのとき、水中から飛び出したその顔はとびっきりの笑顔であった。「泳げた!」周りからも拍手。教師の仕事の醍醐味は、この瞬間にある。15人を超える子たちが、25mを泳ぎ切ったと聞いた。25mは届かなかったが、格段の進歩の子もいる。ドラマも子どもの数だけある。

 プール横では、明日に迫ったフェスティバルの準備がPTAの人によって始まった。掃除をしたり、テーブルを運んだりと、猛暑の中汗びっしょりである。子どもたちの笑顔と大人たちの汗の美しさがまぶしい夏休みのはじまりであった。

 

 

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チャレンジの夏に

 

七夕を過ぎ、セミの鳴き声が聞こえ始めました。校庭を歩くと、所々にセミが抜け出た穴らしきものが目に入ります。セミは幼虫として何年も地中で過ごし、わずか1週間ほど外の世界で鳴き尽くします。セミの一生のほとんどは、地面の中だということです。あの一途でひたむきな鳴きぶりには、そんな下積みの世界があることを忘れてはなりません。

プールでは、そんなセミの鳴き声と暑い陽ざしを浴びながら、元気いっぱい泳ぐ子どもたちの姿がありました。4年生の授業でした。「25メートルを泳ぎ切る」「クロールも平泳ぎもマスターする」……教室に掲げた水泳のめあてをめざし、6つのコースに分かれ、25メートルを泳ぐというものでした。先生のホイッスルを合図に泳ぎはじめた子らは、トビウオのようにすいすい進む子もいれば、水しぶきばかりでなかなか前に進まぬ子もいます。「がんばれ」「まだいけるぞ」先生の激励もむなしく、あえなく途中で立ってしまう、そんな子もまだまだいるようでした。

確かに泳ぎが苦手な子にとっては、25メートルは遠い道のりです。が、人がものごとを成し遂げるためには、セミが長く闇の時間を過ごすように、うまくいかない時間、失敗を繰り返す時が必要ではないでしょうか。そして、その苦しい闇が長ければ長いほど、成功したときの喜びは大きく、そこで身につけた自信は計り知れない。必ずや将来生きてはたらいく原動力になっていくに違いありません。

 目標を達成できず、下を向いてプールサイドを歩くあなた、まだ諦めてはいけません。苦しい歩みは自信や感動のエネルギーを蓄える時間です。さあ、もう一度チャレンジしてみてください。

 いよいチャレンジの夏休みです。

 

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七夕に寄せて

 

「じゃあ、将来、何になりたいの」と登校中の子どもに聞いてみた。「消防士か、警察官」ときっぱりと男の子、次の女の子は「ケーキ屋さん」と少し考え笑顔で答えてくれた。今日は、七夕集会がある。学校までの道中、七夕の話題の花が咲いていた。

 七夕集会を支えてくれたのは、保護司会、民生委員、更生保護女性会、老人会、PTA等地域の皆さんだ。前日は、子どもたちに配る七夕飾りの竹を伐採しに、出動してくださった。体育館横に届いた大量の竹の山を見ると、蒸し暑さとヤブ蚊と闘いながら、竹やぶに入り何本もの竹を切り出したご苦労が容易に想像できる。そして今日は、その竹山から七夕飾り用の長さに切り出し、さらにそれに飾りつけをする作業が市民館で待っている。市民館の部屋には、ところ狭しと、短冊をはじめ輪飾り、星、ちょうちん、吹き流しの手作り飾り、そして配布するポケットティッシュの山が並び、作業にあたる方たちの熱意が伝わってくる。

 七夕集会は、あいにく出張で私はその様子を見られなかったが、七夕飾りを前にして、子どもたちの笑顔があふれていたと聞いた。子どもたちは、短冊にどんな願いをかけたのだろうか。夢が生まれ育つところには、必ず大人の存在がある。短冊に願いをかけながら、地域の皆さんへの感謝を忘れないだろう。

 今週は、3年生が警察官だった方による自転車教室、4年生が市職員による「水」の環境学習、5年生がいのちを学ぶ「赤ちゃん」ふれあい体験、6年生がプロのホテルサービスに学ぶ出前授業と、さまざまな部門、業種で、専門性をもった大人が来校し、経験という財産をもとに、体験を交えて教授してくださる。「体験が子どもの育ちに大きく影響する」と言われる。さまざまな大人の存在が、福岡っ子の未来を触発してくれると願うばかりである。

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 Bigハートの実

 

6年生の棟の階段をあがったところに、一枚の掲示物があります。

ハート型にかたどった大きな枠に、小さな小さなシールが貼られています。「1年生の笑顔のために」と、わんぱくタイムや昼放課に、1年生と遊んだ6年生の子は、ここにシールを一枚貼ることになっているそうです。今このBigハートは、赤や黄、青の花びらが、まるで紫陽花の花のように開きはじめていますが、まだ一部、二部咲きと言ったところでしょうか。あまりの大きな枠に、満開まではまだまだ時間がかかりそうで、ここには、1年生を思う心だけでなく、6年生107名の結束と目標を達成する強い意志が必要なのかもしれません。

それでも今日も、1年生をおんぶしたり、手をつないで走ったりしている6年生がいました。その日はたとえ遠くても、子ども一人ひとりのハートには、優しさの灯()がともっているんだなあと感心します。私は、サクラ前線ならぬ優しさ前線が本校に到達し、開花予報がでるのはいつだろうか、6年の先生の満開の開花宣言を楽しみにしつつ、次の教室へと向かいました。

6年生教室の廊下から、カキポットが見えました。これは、先日3年生がカキの摘果を行い、カキの生長を継続観察するモデルです。「モモクリ三年カキ八年」と言われますが、実りを得るまで時間がかかります。

6年生の優しさの花も実際に実になるのは、5年後、1年生の彼らが6年生になったときです。そのころ彼らは、優しくされた思い出を胸に、きっと新入生を誘いに動き出すに違いありません。優しさのBigハートの花は、時間をかけ立派な実となって、後輩へと引き継がれていくのです。そのとき6年生のみなさんは、高校生、自転車で学校に急ぐあなたの横には、新入生をいたわって登校する「1年生の彼ら」がいるのです。