日誌

全校

福岡っ子発表会に寄せて


  晩秋の冷え込みとともに、学校の周りの街路樹も少しずつ色づいてきました。イチョウ、イロハモミジ、ケヤキ、ソメイヨシノなど、それぞれの樹がそれぞれの色に染まろうとしています。それにしても、昨今の異常気象の中にあっても、多少の早い遅いはあるにしろ、こうして約束を果たすように学校を染めてくれる風景にふれると、樹木たちに「今年もありがとう」と伝えたくなります。

 一方、本校も福岡っ子発表会が近づいてきました。届いたプログラムを見ますと、今年も美しいメロディや力強い音の響きの演奏を皮切りに、楽しみな企画が並んでいます。勇気や信頼をテーマに、アイディアあふれる演出と力強い演技が際立つ冒険の物語もあれば、戦争や校区の歴史を取り上げ、人の営みや思いそしていのちを見つめるもの、さらには、野菜や虹の子など他の物になりきって、元気で明るい自分たちを表現するものと、楽しみは尽きません。

 紅葉の見ごろは十一月の終わりでしょうか、一年中のわずかな期間です。しかし、樹々たちは、たったひとときその瞬間に向かって、精一杯生きているように見えてきます。福岡っ子たちも、発表会というほんのわずかな時間のために、先生たちの叱咤激励を受けながら積み上げた練習を糧に、自らを新たな自分に染め上げて、本番に臨むことでしょう。

 詩人のサトウハチロウ氏の詩「自分を染めてあげてください」の詩の一節に、「ひとにやさしく、自分にはきびしく、これをつづけるとすばらしい色になる。ひとをいたわり、自分をきたえる これが重なると輝きの色になる」とあります。あと一週間の練習で、子どもたちがどのように色づいてくれるか楽しみでなりません。 

ワンチーム

  
  修学旅行に行ってきました。6年生のテーマは、「I」(あい)見つけ。学び合い、助け合いを子ども同士が見つけようというものでした。私も、6年生の「I」見つけをしようと参加しました。

 私が彼らの中に見つけた「I」は、時間を守る、しゃべらず動くという 集団行動の素早さです。

 まず旅の始まりの豊橋駅。この時期は、修学旅行シーズン、駅は多くの児童や生徒が終結する場です。この日もお隣の栄小学校そして、南高校の生徒たちが集まっていました。いち早く集合完了した福岡っ子は、速やかにホームに移動、だまって行動する姿に、思わず感心した駅員さんから「高校生よりすごい」と、お褒めの言葉をいただきました。

 京都駅でも、予想通り、修学旅行生に加え、一般の観光客、外国人旅行客とごったがえしていました。ホームに降りると、添乗員さんを追いかけて階段を下ります。先頭が見えにくいなか、福岡っ子は、群衆をかき分け一団となってバスに乗り込むことができました。

 観光地につけば、写真撮影のベストスポットは、当然混雑しています。法隆寺の境内でも、東大寺の鏡池前でも、そうでしたが、時間と空間のすき間をぬって、素早く整列し撮影し、速やかに、次の団体に明け渡す動きがありました。クラスが「移動して」「並んで」「ポーズして」と一連の動きの速さは、写真屋さんを驚かすほどでした。

 学校に戻れば、写真屋さんの撮影した集合写真が展示されます。青空をバックにさわやかに並ぶ笑顔の裏には、短時間で混雑を克服したという自信があふれているのです。

 さて話は変わりますが、先日ラグビーのワールドカップは最高の盛り上がりを見せて閉幕しました。日本は強豪に次々と勝利し初のベスト8を果たすなど、「ワンチーム」としての結束ぶりが評価されました。ですが、福岡小6年生の動きもなかなかです。日本代表に負けず劣らずの立派なワンチームだったと思っています。 

メタセコイヤの思い出


 小学校時代の部活動の思い出と言えば、サッカーの中央大会に出場したことです。昔々48年前、思えばもう半世紀近く前の出来事。田舎の小さな学校だったので、当時としては快挙でした。

 忘れられない理由は、私のミスで負けたからです。

 当時、私はキーパーをやっていて、チームは結果的に市内優勝したチームと初戦で対戦、接戦だったのです。しかし、今思えば、私のポジションが悪く、前に出過ぎていたのでしょう。相手のヘディングしたボールは、私の頭上を越え、ゴールの中に落ちていきました。そして、これが決勝点となって、あえなく1回戦敗退となりました。ここで、私とサッカーのつきあいは終わりました。ただ当時は忘れてしまいたかったこの敗北も、ずいぶん時が経ち「がんばったんだよ」と思い出が慰めてくれ、懐かしいものになっています。

 このときの他の思い出といえば、実に断片的です。近くに電車が走っていたこと、グランドがやたらと広かったこと、そして大きな樹が見えたこと。そう、会場は、福岡小学校だったようです。私が、本校に赴任したとき、その風景を見て、ああ、あの樹はメタセコイヤだったんだと、思い出の中の樹にたどり着くことができました。

 今も部活動を見るのが好きで、授業後、グランドにサッカー部の練習を見に行くことがあります。声を出し、元気に走り回る選手たちがまぶしく見えます。遠い昔の自分を重ねながら、今の選手は、本当に上手だなと感心しきりです。

 令和の時代になり、長い部活動の歴史も閉じようとしています。しかし、懸命にがんばった思いや思い出は閉じることなく、永遠に続いていきます。球技部のみなさん、頑張ってください。

校歌に包まれて


 最強といわれた台風19号が過ぎ去り、予定を変更するなどして、各町で祭礼が行われました。

 小池神社では、恒例の和太鼓演奏がありました。5時半になると、ステージ前には、地域の人たちがシートに座って、子どもたちの出番を待っています。子どもたちは、緊張感に包まれながら、3曲を披露。「よく合わせられるなあ」と見物している地域住民の感嘆の声に、「練習頑張ってきましたから」と答えておきました。

 その後、橋良神社で、本校の清川、瀬野尾先生が手筒花火をあげると聞いていたので、自転車を走らせました。途中、福岡っ子が「校長先生じゃん」「こんばんは」「どこいくの」と声をかけてくれました。

 西の空が夕焼けに染まる中、橋良神社につきました。爆竹があちこちでなり、出店もありにぎやかです。くじをもった人たちの長い行列ができていました。

 いよいよ奉納花火です。清川、瀬野尾両先生の登場です。スーツでもなく、運動着でもなく、祭着でさっそうと現れたふたり。一礼の後、手筒に点火された手筒は炎をふき上げます。両先生は、炎が安定すると、筒を起こし、体全体で支えます。宙に吹きあがった炎が、火の粉になって、桜の花ふぶきのように落ちてきます。その美しさといったら言葉にしようもありません。

 清川先生に聞いたのですが、手筒の製作はすべて自分に任されるそうです。竹を取り、筒をくりぬき、縄を頑丈にしめる、そして火薬をつめる、数週間前からたいへんな準備があるわけです。桜が厳しい冬を乗り越えて花をつけるように、美しい花火にも、厳しい時間が流れているのです。

 吹き上がる炎のBGMに校歌が流れました。するとどうでしょう。そのメロディにあわせて校歌を口ずさむ子どもや大人。校区の人たちのやさしい歌声に包まれ、ふたりの晴れやかな炎の舞が繰り広げられたのです。

優しい朝の風景を見つめて

    ある朝のことです。通学路の歩道で転んだ中学年の女の子がいました。アスファルトでひざが擦れて、かなり痛そうです。立とうとするわけですが、手をついて四つんばいになったまま、なかなか動けません。目から涙はとめどもなく出てきます。その涙に圧倒されてか、班の子は、その場に立ち尽くしたままです。いたいたしさに、子どもたちの時間は止まったままでした。

  そのときです。1年生の男の子が、その上級の女の子に手をさしのべるではありませんか。かざされた、その小さな優しい手のひらをじっと見つめた彼女は、やがて顔を上げ、自力で立ちあがったのでした。そして涙を拭き、ランドセルを背負い直すと、今度は彼女の方からその男の子に手をさしのべました。手をつなぐと、みなが安心したように歩き出しました。彼らの時間も動き出したのでした。

    福岡ウォークの舞台である通学路では、こんなふうに優しさのあふれる福岡っ子の紡ぎ出す感動的な場面があります。先日は、突然鼻血を出した男の子を「大丈夫、大丈夫」と安心させながら登校する子たちがいましたし、泣き出した1年生の子をおんぶして登校する上級生もいました。

  しかし、その一方残念なこともあります。大きな声で挨拶してくれた子たちの声がめっきり小さくなったことです。地域の方から挨拶ができなくなったねえというのも声も届いています。優しさが声にならない、これは悲しい風景です。

  大きな声を出すことは、人とつながることはもちろん、自分の身を守ったり、だれかのいのちを救ったりと、大切な行為です。昨日の福岡ウォークでは、元気な挨拶が校区にとどろいていました。この声が毎日続くといいなと思いながら、手をつないだ2年生と4年生の子たちの背中を見つめていました。
 

メッセージ

 頑張って今も咲いている1年生のアサガオの花。その鉢植えの前にある畑に、そのアサガオをまねるかのように、謎のうす紫の花が咲きました。何だろうと、1年生の子に尋ねてみますと、「サツマイモ」と返ってきました。

 サツマイモの花、ううん、見たことない。

 生活科の先生に調べてもらうと、サツマイモの花は、沖縄以外では咲かないそうです。……ただ干ばつがひどかったり、猛暑であったりすると、まれに花が咲くことがあると教えてくれました。ああ、そういえば今年の夏の暑さもかなりのものでした。健気に咲くその姿は、夏の酷暑に耐えぬいたという力強いメッセージなのかもしれません。

 さて、福岡ウォークが近づいてきました。

 元気いっぱいの2年生は、練習も兼ねて、校区探検に出発しました。

 潮音寺では、塩満保育園の園長先生にその歴史を聞きました。

 今から約75年前、豊橋空襲でほとんどが消失された中で、唯一火災を免れたのが、山門。その中には、恐ろしい形相で立ち尽くす一対の仁王像があります。その仁王像ににらまれてか、子どもたちもいつになくおとなしく座っていました。像の前に吊るしてあるわらじは、裸足の仁王様を気遣って、地域の方が編んで吊るしてくれたと話がありました。

 人々の思いを受け止め、阿吽の呼吸で、地域を守り続けてきた仁王像。彼らも、戦争当時戦火で燃える市街を目の当たりにして、その表情どおり怒りに満ちていたことでしょう。そう考えると、焼け残った仁王像は、私たちに戦争の悲惨さを伝えるひとつのメッセージのようにも思えてきます。

 いよいよ3日は、福岡ウォーク。福岡校区の街並みに残る風景には、さまざまなメッセージが隠れています。2年生、4年生の皆さん、歩いて、ふれて、考えて、福岡校区の声を聞いてみて下さい。



 

 

 

白いテープ


 わんぱくタイムになりました。ふれあいルームは、トーチ棒を手にした子どもたちがなだれこんできました。間近に迫った野外活動のファイヤーのトーチトワリングの練習です。それぞれが、思い思いにトーチ棒を指に挟んで回し始めています。そこに瀬野尾先生が現れると、一気に頑張ろうという緊張感が高まります。さすが瀬野尾先生、彼の卓越した指導力に感銘を覚えます。ただ昨年度から雨男として一世を風靡した人ですので、当日の天候については一抹の不安がよぎります。映画で話題になった「天気の子」を呼んできたいものです。

 練習が始まりました。すると程なく練習の輪から抜けて、部屋の片隅で手に巻いてあったテープを巻き直している子がいます。ああ家庭や学校で練習を繰り返し、おそらく指の関節や指と指の間が棒で擦れて負傷しているのでしょう。痛いだろうなという心配をよそに、本人は痛がる様子を微塵も見せず急いで練習の輪に戻りました。そんなことを思って子どもたち全体を見渡すと、多くの子の真黒に日焼けした手元に、白いテープがまぶしく見えます。本物の炎を扱う恐怖や緊張を前に、本気になって取り組む子どもたち、その勲章のように白いテープは輝いています。

 時を同じくして、家庭科室では、カレーの調理実習が進んでいました。額に汗して、ジャガイモ皮むき、具材の煮込みに真剣に取り組む姿を見ていると、ここでも5年生の野外教育活動に寄せる思いの強さがひしひしと伝わってきます。カレー作りも万全なようです。

「あなたは、来年職がなくなるかもしれないから、料理でも勉強したら…」家庭で言われました。食欲の秋、料理などあまりしたことがない私の手も、白いテープに覆われているかもしれません。

スタートライン

 
 職員すら知らされなかった、8月17日清川康輔先生 結婚式の極秘情報は、どこから、どう伝わったのでしょうか。

 当日式場には、3年生、6年生、卒業生等と、彼が担任として関わった子どもたちが登場し、式に花を添えてくれました。子どもたちの笑顔や祝福の言葉に囲まれて、なんと二人は幸せそうな表情なのでしょう。彼の言葉を借りれば、こうして新しい人生のスタートラインに立ったことで、いかに周りの人たちに支えられて生きてこられたかがわかったそうです。

 結婚に限らず、人生においても、人は何度もスタートラインに立ちます。そしてそこで立ち止まることで、今までの人生を顧みたり、これからを展望してみたりと、視野が開けて新たな一歩が踏み出せるのです。

 さて、そのスタートラインと言えば、8月末、長年の願いが叶い、小池神社横に信号が設置されスタートしました。これまでここは、朝夕の車の通行量が多く、しかも若干カーブする道で見通しがよくなく、さらに加速して走る車も多く、校区で一番の危険箇所で、子どもたちの通学に危険が伴っていました。しかし、こうして、安心して横断歩道を渡る子どもたちの姿を見ていると、校区の自治会長さん、議員さんをはじめ、校区の皆様のご尽力、ご協力に対して感謝の言葉も尽きません。さっそうと立っている信号は、さながら清川先生と同じで、その陰に、多くの人たちの存在を感じます。信号機のついた横断歩道は短いですが、その数メートルに10年以上の人々の苦労が詰まっているのです。

 夏休みが終わりました。職員の吉報、校区の朗報に包まれて、また子どもたちの学校生活がはじまります。子どもたちは、スタートラインに立ち、夏休みをふりかえりつつ、新たな一歩を踏み出そうとしています。  
  









はじまりの美


  アルプスの少女ハイジという有名なアニメがあります。

 ハイジがある時おじいさんに「夕焼けはなぜこんなに美しいの?」と尋ねます。おじいさんは、「夕焼けは、お日様が山にお別れをする言葉だからさ。この世で一番美しいのは、お別れの時なんだよ」と有終の美の話をするのです。

 この話を思い出したのは、水泳部の子どもたちの練習を見ていた時です。7月のはじめ、「今年度水泳部を先行廃止し、来年度、陸上、球技、駅伝のすべての運動部を廃止する」という市教委の方針に、子どもたちの姿が、沈みゆく太陽のように思えたのかもしれません。

 実際に、目の前の子どもたちはというと、水をかき、水をけり、懸命に泳いでいます。その動きに触発され、まわりの子たちからは、自然と「がんばれ」「いいぞ」と水しぶきといっしょに声があがります。そして、ついにゴール。水面から現れた真黒な顔、そして疲れ切った表情の中にある瞳の輝き。なんとも言えぬ強さを放っていました。ああ、「有終の美」なのかなあと思えてしまいました。

 8月3日の最後の大会は、本当によく頑張りました。


 さて、その一方、グランドや体育館の球技部も動き出しています。「おはようございます」と、今日も元気な声をかけてくれました。上手な子も、そうでない子もいます。技術はどうであれ、やる気に満ちた姿は、美しく、未来を感じさせます。部活動は廃止の道をたどりますが、彼らにとってのスポーツ人生は始まったばかりです。夕日ではありません、朝日のような「はじまりの美」なのです。

対岸の声

 5年3組のおたより「コスモス」に「珠美の人生日記」のコーナーがあります。岩瀬先生が、日々子どもたちとのかかわりの中で、さまざまな思いが綴られています。私もひとりの読者として、毎週楽しみにしています。

 その中に、A子さんのことが書かれていました。彼女は、泳ぎが得意ではないらしく「水泳特訓をしています。」とありました。そして、人生日記は続きます。「人に頼らずひたすら頑張って泳ぐ彼女を見ていたら、先生も何か挑戦できるものを見つけたいと思いました。」と…。岩瀬先生は、A子さんの泳ぐ姿に、勇気や元気をもらったようでした。

 岩瀬先生のこの気持ちは、私にもわかります。それは、朝の登校風景でした。私が本校に赴任したころは、子どもたちと出会っても、恥ずかしさが先だって、下を向いて歩いていってしまう子が多くいました。しかし、先日のことです。国道259号線の歩道に立っていると、「おはようございます」という元気な声が聞こえてくるではありませんか。声の方に目を向けてみますと、行き交うたくさんの車の間から、子どもたちのたくさんの笑顔がのぞいていました。この通学班の子たちは、反対側の歩道にいる私を見つけて、声をかけてくれたのでした。車の騒音を越えて届けてくれた元気いっぱいの贈り物に、私も岩瀬先生と同じように、今日頑張ろうという元気や勇気をいただいたのでした。

 いよいよ夏休みを迎えます。全校朝会でも話したように、子どもたちは、本当によく頑張ったと思います。が、忘れてはならないのは、頑張った自分のすぐ近くには、A子さんやあの通学班の子たちのような勇気や元気を与えてくれる存在がいたのではないでしょうか。

 交通事故、不審者、熱中症、異常気象と、子どもの取り巻く環境は必ずしも万全とは言えません。友達や先生とのつながりを忘れず、安全に元気いっぱいの夏休みを過ごしてほしいと願っています。     

逆境をくぐる


 校長室で仕事をしていると、胡蝶蘭の花がぽとりと床に落ちました。2年前に本校に赴任したお祝いにいただいた花で、あれから株分けをしただけなのに、今年もそれぞれの鉢に美しい花を咲かせてくれました。ゴールデンウィークから開花していましたので、2か月も咲いてくれていたことになります。

 その胡蝶蘭のことですが、知人からこんなことを聞きました。蘭は気持ちのよいときに花は咲かない。これ以上追い込むと枯れるかなというくらいのとき、立派な花を咲かせる。思えば、来客や出張、事務仕事に追われ、うっかり水や肥料を与えることを忘れてばかり。この放任という逆境が、この花たちを咲かせるエネルギーを生んだのだと思いました。

 花と言えば、1年生の教室前では、アサガオが満開です。疲れた表情で登校した子どもたちも、アサガオを目にすると、小走りに駆けよっていく姿を見かけます。「願いがかなった」という子どもの声にあるように、大輪の花には、水や肥料だけでなく、ことばや思いという愛情がいっぱい注がれています。ただ、アサガオが開花する条件に目を向ければ、夜という真っ暗な闇が不可欠だそうです。アサガオの凛とした美しさは、ひっそりと孤独の夜をくぐった自信の表れかもしれません。

 さて、陸上大会。子どもたちは、大健闘でした。私の心をとらえたのは、結果を出せなかった子どもの涙です。ゴール直前で転倒し、結果を出せなかった。リレーでバトンを受けたのに追い抜かれ、順位を守れなかった。陸上大会は、歓喜や感動とともに、たくさんの「もう一息」があり、挫折や失望も連れてきます。あなたの悔し涙は、胡蝶蘭やアサガオが花をつけるためにそうであるように、次の飛躍のためのつらい時間ではなかったでしょうか。

 スタンドの控え席に戻ったあなたは、仲間からの「よくがんばった」という労いのシャワーを浴びました。大丈夫、逆境をくぐった人は強くなります。

とっておきの場所

 

 「あの遊具は、うちのおやじが作ったんだ」と校区の方が教えてくれました。あの遊具とは、本校の校庭にある、鉄の棒がずらりと並んだ上り棒です。当時、体力づくりの一環で、学校から要請があり、請け負って作られたと聞きました。「学校に自分の作品が、こうして未だに残っているなんて、すごいですね」と私が言うと、「そうそう、おやじにとっては、とっておきの場所」と答えてくださいました。

「とっておきの場所」と言えば、先日、かわいいお客さんが多数、校長室に来室されました。校長室にあふれんばかりのお客さんたちは、はじめて入室したその部屋を珍しそうにぐるりと見渡します。すると、何かひらめいたように、いきなりカーペットに着座して、鉛筆を走らせ始めました。1年生の学校探検。けっこう長時間、無心にスケッチを描き続けました。そして用事がすみ退室するときには、「ありがとうございました。失礼しました。」の声。行儀のよい来訪者のスケッチは、1年生昇降口に展示されました。果たしてお気に入りの場所になったでしょうか。

 一方、6年生の掲示板に行くと、想い出の場所の水彩画がありました。1年生と違い、彼らの絵には、5年間余りの学校生活という経験が上積みされ、思い入れがあります。「友と楽しく遊んだ」「部活動でがんばった」「1年生のお世話した」と いつも何気なく眺めているところも、想い出のフィルターを通すと、そこに頑張った自分がいることがわかります。6年生のみなさん、想い出を紡ぐのは、まだまだこれからです。

 さて、学校開放日、ご来校ありがとうございました。悪天候でしたが、親子下校いかがでしたか。我が子と傘を寄せ合いながら曲がったあの角も、今朝は女子中学生の待ち合わせ場所でした。通学路にもとっておきの場所があるのでしょう。家路へと急ぐ道すがら、想い出をたぐり寄せると、大切な場所が見つかるかもしれません。

各駅停車

 

 「ぶらり途中下車の旅」という番組ではありませんが、校長室から各教室へ、途中下車するように歩くことが日課になっています。

ある教室は、「算数の友」を各自取り組んでいました。課題が黒板に記され、できあがるとそれを先生に見せにいきます。「できたあ」の声とともに、先を争うように、先生のところに駆けこむ子たちがいます。できた喜びをいち早く先生に伝えたい、それが子ども心でしょう。が、私が注目した子は違いました。静かに席を立つと、床に落ちている鉛筆をおもむろに拾い持ち主に届け、解き方に困っている子には、小声でアドバイスするなど、なんともゆったりした歩調です。結局、彼は、最後尾に平然と並びました。「ゆっくり」も悪くないなあと思い、教室を出ました。

また、ある教室では、話し合いの授業が行われていました。活発な意見交流です。発言内容に耳を澄ますと、「○○君につけたしで……」「○○さんと少し違って……」と、仲間に敬意を表すように、発言の枕詞に友達の名前をつけていました。黒板にはたくさんの子の名前のプレートが並びました。先生が考えた授業の道すじに、おのおのの子が考えを上書きしていく授業。「どっちがいいんだ?」の先生の質問に、結論を急ぐのではなく、ああでもない、こうでもないと各駅停車しながら、進んでいました。そして、最後は「どちらも悪くない。大事なことは、歩みたい人生を自分で判断することです」と大人顔負けの人生観ともいうべき意見に、授業の終末がきゅっと締まりました。

 図書館に行くと、1年生とあすなろ学級の子が本を選んで読んでいました。1年生は、お気に入りの本を私に見せてくれました。あすなろのひとりは、テーブルで電車図鑑を熱心にみています。「電車がすきなの?」と聞くと「うん、好き」と答え、東海道線のページをみせてくれました。そこには、各駅停車の電車が並んでいました。各駅停車もなかなかいいものです。   

トンボの羽化


   3年生の教室で、「飼っていたヤゴがトンボになったよ」そんな声が校長室に届きました。さっそく教室に行って水槽の中をのぞいてみると、まだ何匹かのヤゴが残っています。ヤゴは、よく見ると風貌はグロテスク、メダカやオタマジャクシを素早く捕食するハンターだそうです。

羽化は、授業中でした。止まり木でじっとしていたヤゴは、授業に集中する子どもたちの空気に決意したのか、その場で自らの殻をやぶり、一気にトンボになったと聞きました。種別は、赤とんぼでおなじみのアキアカネ。

 ヤゴは、トンボになるまで、10回前後脱皮を繰り返すそうです。初夏の風にのって、軽やかに飛んでいるかのように見えるトンボですが、それは、成虫になるまで脱皮や羽化、幾多の試練を乗り越えた雄姿であることを忘れてはなりません。

 さて、運動会が終わりました。厳しい暑さの中、全力を尽くす子どもたちの姿に感銘を覚えました。子どもたちは、ずいぶんたくましく成長しました。

なかでも、高学年のスタンツの時でした。始まりの音楽とともに演技が始まるわけですが、CDを入れても音が出てきません。子どもたちは、身をかがめたまま、じっとその時を待ちます。直射日光が照りつけ、汗が滴り落ちたでしょう。それでも、彼らは音楽がかかるのをそのままの姿勢で待ち続けたのです。ようやく音が聞こえてきました。逆境に耐え、満を持してそのときを待つ。彼らの姿に、まるでトンボの羽化を見ているようでした

 人間は、ヤゴのように脱皮や羽化はありません。子どもたちは、今日の演技に至るまで、何度も心の脱皮を繰り返し、運動会本番の晴れ舞台で、見事羽化したのではないでしょうか。令和の風に吹かれてゆうゆうと飛んでいるトンボ。それは、本校を支える子どもたちの未来のように思えてきました。

小さな失敗のすすめ


   ひと昔前の話です。私は、仕事で失敗をしてしまいました。他の人からは「大きなミスではないよ」と慰められ、今から思えばたいしたミスではなかったと納得もできるわけですが、当時の私にしてみれば、同僚にかなり迷惑をかけたことですし、その重大さに動揺し、落ち込みも激しかったと思います。

 外に出て頭を冷やしました。そして、自分の席に戻ってみると、一枚の一筆箋が机上に置いてありました。

「大きな失敗をしないために、小さな失敗をしよう」。手書きの文字で書いてありました。先輩の文字でした。「小さな失敗をしよう」という前向きな言葉に、私のへこんだ心は、ずいぶん楽になった気がします。

「小さな失敗をしよう」これまで仕事を続けることができたのも、心のどこかで、この言葉が支えてくれたのかもしれません。

 さて、本校の子どもたちに目を向けますと、いよいよ運動会を間近に控え、その練習が真っ盛りです。教室や運動場のあちこちから、運動会の歌声や応援合戦のかけ声が聞こえてきます。今年のテーマは、「令和の風を巻き起こせ、赤白青の白熱バトル」。競技や演技のバトルの中で、当然「負けた」「できなかった」「恥ずかしかった」と、失敗や挫折もついて回るわけです。現に、運動会で涙したり自信をなくしたりする子を、これまで何度か見てきました。しかし、これらは、長い人生を思えば、小さな失敗です。小さな失敗は、挑戦する勇気と、大きな失敗を回避する見通しを学ぶ貴重な経験だと思うのです。

 今日も、外遊びで、「転んだ」「打った」「ぶつかった」と、何人かの子たちが保健室に足を運んでいます。すこし痛そうですが、けっして暗くない表情を見て安心します。痛みを通して、安全や危険も学ぶ。「将来、大きなけがをしないための、小さなけがなんだよ」。そんな思いで、子どもたちを見守ることにしています。  

鈴の鳴る道


  「おはようございます」 黄色いランドセルカバーの女の子と挨拶を交わしました。ランドセルは重そうですが、上級生のお姉さんの右手をしっかり握りしめて歩む姿は、入学当時に比べると、格段にたくましくなりました。

 朝の陽ざしが道路にさしこみ、子どもたちの影が通学班の後を追いかけるように続いています。なんとも気持ちのよい朝です。ただ今朝の心地よさは、挨拶や笑顔の明るさだけではありません。彼女のランドセルにくくり付けられている鈴が奏でる音が、彼女が歩くたび、チリンチリンと、BGMのように聞こえるのです。ああ、あの鈴の音に、我が子に対する、親御さんの安全や幸せの祈りがこめられているんだなあと思うと、なんともいえぬ気持ちになりました。

 坂を上っていく彼女の後ろ姿を見送っていました。ふと思い出したのは、星野富弘氏の「鈴の鳴る道」というお話です。若き日大けがを負い車いす生活を余儀なくされた作者にとって、道路の段差やでこぼこ道、カーブは、その振動によって苦痛を味わう、避けて通りたい道だったそうです。しかし、その振動によって、ぶらさがっている鈴が得も言われぬ音色を奏でるではありませんか。彼は、逆境を乗り越えると、必ずよいこともあると、鈴から学び、でこぼこもなるべく迂回せずに進もうと決意するのです。

 黄色いランドセルの後ろ姿は、ずいぶん遠くなりました。これから彼女の人生にも、困難や試練が待っていることでしょう。でも、あの足取りの力強さに、彼女は、心の鈴を鳴らしながら成長していくと思わずにはいられませんでした。

あすなろの願い

 

 話は半年前にさかのぼります。福岡っ子発表会で、あすなろ学級の皆さんが、「水戸黄門」を演じたことを覚えていますか。その劇中で、メモ帳をもった謎のじいさんが現れましたね。そのじいさんが、あすなろの黄門様一行にプレゼントします。あれはいったい何でしたか。

正解は、あすなろの木。

 あすなろの木は、ひのきと似通っています。「あすはヒノキのようになろう」から命名されたと言われる「あすなろ」は、ヒノキに劣るイメージがあります。しかし、実際には、強度、耐久性に優れ、ヒノキに負けない材質だそうです。「あすなろ」という言葉自体も、「劣っている」というよりも「向上心があり前向きなもの」としての響きが強く、あすなろ学級のように、いい意味で使われることが多いです。

 昨年度末、ついに本物のあすなろの苗木が届きました。あすなろ学級の子どもたちは、セレモニーを行い、グランド西の遊具の近くに植樹しました。苗木の背丈はまだ1年生より低いですが、いつかは人間の背丈を越え、本校の大樹と肩をならべることでしょう。

 新年度が始まりました。各学年の子どもたちはそれぞれが目標を掲げ、歩み始めました。「算数が苦手だからがんばる」「部活で選手になる」「1年生に優しくなる」「たくさん笑う」と一つ一つ読み進めると、あすなろの木のように、未来にはこうなりたいという思いがひしひしと伝わってきます。

 今、本校の校庭の樹木も、初夏にむかって、若芽が一斉にふきだしています。その風景の美しさは、子どもたちの抱いている明るい夢や未来を思わせてくれます。 

サクラの美しさ


 今年は、サクラが待っていてくれました。

最近は、温暖化の影響か開花が早く、例年、入学式のころは、散り始めているというのが常でした。今年も三月末には、花が開き始め、入学式まではもたないと危惧されたわけですが、月初めの寒波で、満開の日が後ずさりしていったのでした。おかげで、程よいサクラの咲き具合で、入学の日を迎えることができました。

 サクラの花は、咲き始めから散るまでその期間は短く、はかない象徴として、出会いや別れにたとえられます。また、花の色は、白や淡いピンク。品種や気候によって、多少違うようです。ただ注目すべきことは、わずかな期間にかかわらず、花の色が変わっていくということです。開花しても、そこにとどまることなく、変化し続ける、これが、サクラのひとつの魅力なのかもかもしれません。

 入学式前日、新6年生が準備にあたりました。黙々と活動する姿に胸を打たれました。思えば、昨年度の6年生を送る会から今日に至るまで、わずかな期間にもかかわらず、日に日に変わっていく6年生の子どもたちの姿に、サクラの美しさを見た気がします。

 人の成長は、時間ではありません。そこにかける思いが、人を変えていくのです。

 

さあ 始まる

   体育館では、6年生が卒業式の練習中でした。フロア中央にある演台で、証書を授与する一連の所作は、ややぎこちなく不自然さがぬぐいされません。でも、卒業の歌になると、その美しいハーモニーに、会場が一変、卒業の空気に包まれました。卒業式が日一日と迫ってくる中、次第に思いと動きがつながり、自然なものになっていくのでしょう。

 通学班は、卒業前に、再編成、新年度をふまえて、新しい班長さんのもと、新しい通学班登校がはじまりました。

 朝、眺めてみると、その班はいつもより少し登校時間が早く、見守り隊の方たちの立つ交差点に現れました。「早いなあ」の声に、元気のよい「おはようございます」が返ってきました。ランドセル以外に責任という重荷を背負いながらも、やる気と自覚で、その重さを感じさせない表情が、なんとも頼もしく思えました。  

「校長先生、実はね……」と、見守り隊の方が、私に一枚の手紙をみせてくれました。そこには、「いつも感謝の気持ちを伝えたかったのですが、はずかしくて言えませんでした」と見守り隊の方への感謝の気持ちが綴られています。

「長い間、見守り隊をやっているけど、こんなふうに手紙をもらうのは初めてだ」と見守り隊の方は、目を細めながら、その手紙を宝物のようにふところにしまいました。感謝を伝える「ありがとうの会」が先日あったわけですが、本人としてみれば。直接、感謝の意を伝えたいと動かずにはいられなかったのでしょう。一通の手紙の優しさが見守り隊の方に元気を贈ったのでした。

 卒業や進級という節目に、何かをはじめようという気運。子どもたちも、新しい季節に向けて動き始めています。

成長し続ける4年生に


  お話タイムは、子どもたちの話す力、聞く力を高めるため、金曜日の朝の時間に行われている活動です。話し合うテーマは、子どもたちの様子により、彼らが提案したり、教師が考えたりしています。「飼いたいペットは何?」「ディズニーランドとユニバーサルとどちらがいい?」「外国人に薦めたい日本食は?」「30分後に地球が滅亡するなら何をする?」など、さまざまなテーマで話し合われています。

 この日、4年生に注目しました。4年生は、4クラス共通テーマで行われていました。テーマは「最後まで話をしっかり聞くにはどうしたらよいか」傾聴は、高学年でもなかなか難しいことです。いつも活気のある4年生ですが、テーマがテーマだけに、この日は、友達の声をしっかり聞こうと静けさが広がっていました。

 あるクラスは、まず話を聞くことができているかどうかと、自分たちの姿のふりかえりから始めていました。「できていない現状がある」それを受けて、それではその対策を考えようとしていました。また、あるクラスでは、話し手のことを考えて聞くという意識の面と、相手の方向に体や目線を向けるという方法が大事だと考えました。さらに、あるクラスでは、やはりご褒美や罰則がないと、この難題をクリアできないのではないかと考える子が多数いました。こんな意見もありました。「話す人が短くまとめて話す」と聞き手ではなく、話し手に目を向けた鋭い意見に感心しました。

 4つのクラスがどう結論づけたかはわかりませんが、たとえ同じテーマであっても、答えはひとつとは限らない。そこに向けて、どのように考えるかが重要なのだと思います。そうした意味から、4年生は、とてもよい時間を過ごしていると感じました。

  4年生も来年度はいよいよ高学年。話し合いを話し合いだけに終わらせず、次は行動です。先生の話、友達の声に真剣に耳を傾ける姿を、今度は見に行こうと考えています。