日誌

全校

成人式で和太鼓部演奏

1月7日(日)に、本校の和太鼓部が校区成人式に参加。
演奏を披露し、成人をお祝いしました。

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活力ある福岡っ子に

お話タイムは、毎週金曜日の朝に行っています。話し合うテーマをクラスで決め、それを話し合うというものです。

この日は、「持久走大会に向けてがんばりたいこと」「力試しはどんな問題がでるか」「力試しと持久走、どちらがいいか(いやか)」「持久走大会中、前の子がショートカットしたらあなたはどうするか」と、直前に控えた持久走や力試しテストにちなんだテーマが多く話し合われていました。クラスの個性が垣間見られるお話タイム、教室を梯子してのぞき見することは、私にとって、ひとつの楽しみになりました。

 やはり「テーマ」が魅力的だと、意見を言いたくなるものです。これまでに『「長生きできるが不幸になる」のと、「1年しか生きられないけど幸福に生きられる」のとでは、どちらを選ぶか』『引っ越すとしたら、「ゴキブリが100匹の家」と、「アリが1000匹の家」、どちらに引っ越すか』『「無限の金」と「無限の時間」、どちらを選ぶか』と過激というか究極のテーマも数多くありました。それが、子どもの意欲をそそるようで、熱っぽく語る姿があり、私も引きこまれてしまいました。

 また、平成二十九年の終わりにふさわしく、「あなたの1年を漢字一字であらわすと、どうなるか」というテーマで話し合うクラスもありました。自分を見つめ、ふりかえり、考えた選りすぐりの漢字に、「ああ」「なるほどね」と納得や驚きの感嘆の友の声が聞こえてきます。黒板に記された「考」「動」「成」「芽」「笑」……の漢字は、この子たちの成長の証だったのです。

一方、世間はといいますと、北朝鮮情勢の影響でしょうか、「北」に決まったそうです。そこで、はたして、本校はと考えてみました。

活発に話し合う授業や児童会活動 あいさつや行事で活気あふれる子ども、そして、水泳部優勝、バスケット部準優勝をはじめ部活動の活躍。本校は「活」でどうでしょうか。

平成三十年、福岡っ子をはじめ皆様にとって、素晴らしい一年になりますように。

 

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晩秋の風景のなかに

 

琥珀色に色づいたヒマラヤスギと黄金色のイチョウが、陽光に照らされ鮮やかに輝いています。街路樹や校内のあちこちにあるカエデも、紅に染まり、その存在感を示しています。サクラは、赤色から柿色、そして山吹色へと見事なグラディエ―ションに、見る人を立ち止まらせています。

晩秋から初冬へ、本校の校庭は美しい時を迎えていました。この風景の中を、子どもたちは息を弾ませ、走っていきます。今年もかけ足訓練が始まりました。私も、プラタナス、イチョウの落ち葉の絨毯を踏む音を楽しみながら、外周をゆっくり走ることにしています。それにしても、超大型台風やゲリラ豪雨、から梅雨など異常気象に見舞われながらも、季節との約束を守るように、今年もすてきな風景を私たちに届けてくれました。

一方、図書館では、図書ボランティアの皆さんによって、入り口にはクリスマスツリーが置かれ、一足早く冬の装いとなっています。各所各所、工夫が凝らされ、食欲ならぬ読書欲をそそる飾りつけや本の配置がされ、頭の下がる思いです。

また、あすなろの部屋にも、あすなろ美術館が開館していました。のぞいてみますと、あすなろの子どもたちが制作した絵画、工作と、力作ぞろいです。なかでも、運動会、夏休み、福岡っ子発表会の絵は、まるで今年1年の思い出をたどっているかのようでした。

さらに体育館では、老人会の皆さんから、昔の遊びを教えてもらう1年生の姿がありました。「昔の遊びの会」でした。お年寄りと子どもたちの間に、笑顔や優しいことばが生まれ、紅葉に負けぬほど、ぬくもりのある空間になっていました。

環境が人を育てると言われます。美しい自然や温かい人たち囲まれて、人は優しさを紡いでいくのでしょう。

そういえば、登校中、一匹のカマキリを捕まえた子がいました。すでに産卵も終えたのでしょう、カマキリは、抵抗することもしません。そんなカマキリを、そっと優しく垣根に置いていく子。カマキリは、登校する子の後ろ姿をじっと見守っているかのようでした。


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  忘れられない瞬間

 

台風による延期で、バスケットボール決勝トーナメントが、四日、本校で開かれた。この日は、あいにくミニバスケットボール大会と重なり、多くのチームがベストメンバーで臨めない大会となった。

 メンバーが抜けると、試合の様相が読めない。バスケットは、「習慣」のスポーツと言われる。いつもの練習をこなし、そこで染みこませてきた習慣の中で、仲間同士の暗黙のルールが生まれる。それが一人ぬけることで大きく崩れ、大敗するチームをよく見てきた。

 本校も大黒柱がいない中での準決勝、決勝だった。本校の先生も保護者の方々も大勢が応援に来た。が、大いに期待を寄せながらも、心配で不安を隠せない表情で、試合を見守っていた。私もその一人であったと思う。

 が、福岡の子どもたちは違った。戻ってくるキャプテンのためにと、自分がやらなければと、役割を自覚し立ち向った。それが、シュートやディフェンスの思い切りのよさにつながり、それが随所に決まった。ピンチもあったが、試合の流れをけっして相手に渡さなかった。「習慣」にはない、いつもと違う局面を、キャプテンにつなぐという「思い」がしのいだのだった。

 そして、決勝のハーフタイムに、キャプテンはついに帰ってきた。今までじっと耐えていたのだろう。その時見せた選手たちの何とも言えぬ安堵の表情、私はこの瞬間を忘れることはないだろう。

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台風が過ぎ去って

 

超大型といわれた台風21号によって、休校になりました。いつもの主役の子どもたちの歓声も、この日ばかりは強風のうなりにとってかわりました。校庭には、ぎんなん、まつぼっくり、くぬぎの実などが、まるで天からばらまかれたように、一面に散らばっています。また、折からの強風は、葉や実だけではなく、枝々をへし折り、運動場の真ん中あたりにも、松やくすのき、いちょう、プラタナスの大きな枝が落ちていました。休校になったその日、先生たちは職員作業。木々の残骸、実を集め、あっという間にリヤカーやコンテナが、いっぱいになりました。台風一過の快晴の空を見上げながら、みんなで行う和気あいあいの心地よい作業に、笑顔が広がっています。

さて、翌日、3年生は、アークリッシュの総料理長を講師にお迎えし、味覚の授業を行いました。コック帽をかぶった神妙な子どもたちでしたが、味見体験をなると目を輝かせいつもの顔に戻りました。味には「あまい、すっぱい、にがい、しょっぱい」の4種類がある。甘いものやしょっぱいものばかり摂取していると、体によくない。そんなお話もあり、苦みや酸味に、顔をしかめている子もいました。私は、彼らを見ながら、これは人が生きていくこともつながると思いました。学校生活において、うまくいくことばかりでなく、ほろ苦さや酸っぱさを味わうことも大切な勉強ではないでしょうか。

外を眺めると、本校の大樹が、空に向かってそびえています。この立派なたたずまいも、厳しい風雨の度に、大切な枝葉をそぎ落とすという、辛酸をなめながら、生きぬいている誇らしげな姿に見えます。

おや、昨日の強風の音を上回るような、子どもたちの歓声が聞こえてきます。そう、今日は、1年生の芋ほり体験。今年は豊作なのでしょうか。

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  ご褒美

 

清水寺は、平成の大改修中です。「清水の舞台」で有名な本堂は、工事用の木組みと風雨をしのぐシートにすっかり覆われています。それでも、さすがに世界遺産。修復中であっても、修学旅行生や海外からの観光客、そしてツアー客で、寺へと続く参道は、人でいっぱいでした。

 本堂に立ちました。シートに覆われた舞台であっても、シートの間から望む景色は壮大で、紅葉の頃はさぞ絶景であろうと、たやすく想像ができます。

 添乗員さんがこちらに走ってきます。「お水とりができそうです」との声。舞台の下には、「音羽の滝」があります。三つに分かれ滴り落ちる水を飲めば、「学業」「恋愛」「健康長寿」が叶えられると言われ、ここがひとつのスポットになっています。常に長蛇の列ができ、修学旅行生は、時間的なことからほとんどが回避、今年も、添乗した学校ではまだこのお水にありつけていないそうです。

今日はたまたまよい時間帯だったのでしょうか。行列の人の数がすくないと判断し、福岡小の子どもたちを列に加えました。子どもたちは、落ちてくる水を柄杓で受けながら、それぞれ願いをかけています。

 かれらが並んで待つ姿を見て思い出しました。法隆寺でも、大仏殿でも、平等院鳳凰堂でも、いつも速やかに並び、ガイドさんの話を真剣に聴き、メモをとる姿がありました。そんなひたむきな姿を、神様や仏様は見逃していません、お水とりは、そのご褒美だったのかもしれないと思えてなりませんでした。

 お水に託した願い、ただ願いは願い、それが実現するかは別の話です。清水の改修工事が時間をかけ、ひとつひとつ積み上げ完成に至るように、子どもたちにもたゆまぬ精進が必要です。「清水の舞台」ではありませんが、子どもたちの未来に、夢を実現する、晴れ舞台が待っていてほしいと祈うばかりです。

 

 

 

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  高畑郁子氏の絵に寄せて

 

本校玄関の壁に、巨大な日本画が飾られました。これは、校区在住の画家高畑郁子様から寄贈されたものです。その絵は、「水辺の植物」と題し、睡蓮か水芭蕉を題材にしたのでしょうか、朱色をベースに、水生植物が浮き上がるように描かれ、玄関の空気を一変させていました。

 日本画は、「岩絵の具」といわれるもので描かれます。その素材は、文字通り岩石で、孔雀石、ラピスラズリ、サンゴ、メノウなど鉱石を砕いて作った顔料だそうです。絵の持つ重厚感、深み、気品は、石そのものにある特性が表れているのかもしれません。

 本校へお越しの折は、ぜひご覧ください。

 さて、本校の子どもたちに目を転ずれば、和太鼓部の演奏も、この日本画のように、日本文化の趣きを醸し出しています。今は、10月のお祭りの祭礼に披露するもので、地元の講師の方をお迎えし、練習に励んでいます。多目的室をのぞくと、普段とは別人の引き締まった表情と真剣なまなざしで、先生の激励に応えるべく、力強くバチを操っています。思えば子どもたちの資質も、原石のごときものです。岩を砕いた顔料から見事な日本画が生まれるように、彼らの演奏も磨かれることで、宝石のような深い輝きを放つことでしょう。

 

前期が終了します。教育は、子どもの中からその子らしさという宝石を掘り出す営みでもあります。が、得てして、その自分らしさというものがなかなか本人ではわからない。通知表を見、前期をふりかえって、親子でお子さんが最も輝いたそのときを切り出してほしいと思っています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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尾行をしました

 

あすなろ学級の子どもたちが、待ちに待った校外学習に出かけました。

午前は、駅前のプラットで、表現の体験学習を行い、午後は、美術博物館で絵画について学ぶというものです。しかも、その行程は、自分で渥美線の切符を買うとか、飲食店で食事をするとか、渥美線や市電に乗るマナーを学ぶなど、社会勉強の宝庫でした。私は、たまたま午後から名古屋への出張がありましたので、午前は子どもたちの様子を観察することにしたのです。

せっかくの緊張感、わくわく感、自立心を育てる場を壊したくありません。わたしは、子どもたちに気づかれないようにと、まるで刑事のように尾行することにしました。あるときはホームの柱の陰からこっそりと、またあるときは隣の車両のから覗くようにして、さらに食堂の片隅でうどんをすすりながらと……。

子どもたちは立派でした。

混雑した渥美線の車内でも、静かにじっと我慢して立っていました。

自分で注文したラーメンの支払いをし、店員さんから食事を大事そうに受け取っていました

市電の代金を確認し、背伸びをして自販機の投入口にお金を入れ、切符を購入していました。

子どもが成長するのは、大人の手から離れた時です。「手はかさないが、見逃さない」そんな適度な距離感が子どもの成長には欠かせない。今回の尾行を通して改めて気づきました。ただ尾行をしている私に対して、どうも通りがかりの人の目が怪しい。不審者と思われていたかもしれません。不審者として通報されなくてよかった、今となって胸をなでおろしています。

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トントントン

 

 その教室は、授業が終わろうとしていました。今日学習したワークブックをやり終えた子から、順番に提出することになっているようでした。ひとりができ、またひとりができと、教卓の前には自然に行列が生まれていました。半数ぐらいすぎたところでしょうか。私ははっとしました。たくさんのワークは乱れることなくきれいに積まれているではありませんか。

 しばらく様子を観察してみることにしました。無造作に置く子もいます、なかには、放り投げるように出す子もいました。けっしてつねにそろっているわけではありません。しかし、乱れそうになると、その都度気がついた子がワークの山を抱えて、トントントンとそろえています。だれともなく手をさし伸べるその姿にすっかり感心してみとれてしまいました。

この整理整頓の姿は、クラスの仲間に注ぐ、一手間かける優しさでもあったのでした。

 教室を離れ、再び廊下を歩き出しました。「整理整とん」「スリッパをそろえよう」などポスターに囲まれたトイレのスリッパ、用務員さんによる手作り雑巾かけの雑巾、いずれも気持ちのよいほどにきれいに並んでいます。ここにも、だまって動き出している「だれか」がいるのです。夏が行き、実りの秋を迎えました。さわやかな秋風に優しさの穂が揺れているようでした。

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なかぼしの時間

 

校長室には、水泳大会の優勝旗が飾られ、そのペナントに平成29年度福岡小学校の文字が輝いています。その活躍に触発されてか、グランドや体育館から今日も元気な声が聞こえてきます。球技大会に向けて、練習がスタートしたようです。

 が、ものごとはなかなか思い通りにいかないものです。練習試合から職員室に帰ってくる先生は、きまって声を枯らして顔を真っ赤にしています。試合の様子を聞いてみると、子どもたちの声より先生の叱咤激励の方が上回っていたようです。練習の成果はまだこれからというところです。

 9月がスタートしました。夏休み前全校児童に伝えた「小さな目標」はどれだけ実を結んだでしょうか。

実りといえば、先日おやじの会の皆さんによる稲刈りが行われました。田植えから4か月余り、金色の絨毯を彩る豊かな稲穂がこうべを垂らしていました。子どもたちは、その重さをその手に感じ取って、カマで刈り取りました。豊かな実りの背景には、「なかぼし」と言って水を枯らし、暑さにさらされるなかで、空気を吸収し根を広げる時が必要なようです。

 人の成長にも、このなかぼしのように、忍耐の時間が必要です。すぐに結果を求めず、心の根をはる時間を大切にしながら、実りのときを待ちたいと思います。

校長室の窓からは、はざかけされた稲穂が太陽の光に照らされ、輝いていました。

 

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 とびっきりの笑顔

 

夏休み第一日目泳力補充が行われた。泳力1mからの、いわゆる泳ぎが苦手な子22名が集まった。表情の硬い子と笑顔の先生の組み合わせはやや違和感があるが、これからはじまる物語に期待が高まるばかりだ。

 プールに広がるさまざまな練習の風景、ここまでここまでと自らが道標になり呼び込む先生、手本を示し、いっしょに泳ごうと意志表示をする先生、道具を使って子どもを引っ張り、泳ぐ感覚を養おうとする先生、さまざまな手法でこの子に泳力をつけようとする先生の姿がある。子どもたちは、その熱をしっかりくみ取って、必死に水面を滑り、知らぬ間にその距離は伸びていく。そして、先生の激励の声が最高潮に達したそのとき、水中から飛び出したその顔はとびっきりの笑顔であった。「泳げた!」周りからも拍手。教師の仕事の醍醐味は、この瞬間にある。15人を超える子たちが、25mを泳ぎ切ったと聞いた。25mは届かなかったが、格段の進歩の子もいる。ドラマも子どもの数だけある。

 プール横では、明日に迫ったフェスティバルの準備がPTAの人によって始まった。掃除をしたり、テーブルを運んだりと、猛暑の中汗びっしょりである。子どもたちの笑顔と大人たちの汗の美しさがまぶしい夏休みのはじまりであった。

 

 

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チャレンジの夏に

 

七夕を過ぎ、セミの鳴き声が聞こえ始めました。校庭を歩くと、所々にセミが抜け出た穴らしきものが目に入ります。セミは幼虫として何年も地中で過ごし、わずか1週間ほど外の世界で鳴き尽くします。セミの一生のほとんどは、地面の中だということです。あの一途でひたむきな鳴きぶりには、そんな下積みの世界があることを忘れてはなりません。

プールでは、そんなセミの鳴き声と暑い陽ざしを浴びながら、元気いっぱい泳ぐ子どもたちの姿がありました。4年生の授業でした。「25メートルを泳ぎ切る」「クロールも平泳ぎもマスターする」……教室に掲げた水泳のめあてをめざし、6つのコースに分かれ、25メートルを泳ぐというものでした。先生のホイッスルを合図に泳ぎはじめた子らは、トビウオのようにすいすい進む子もいれば、水しぶきばかりでなかなか前に進まぬ子もいます。「がんばれ」「まだいけるぞ」先生の激励もむなしく、あえなく途中で立ってしまう、そんな子もまだまだいるようでした。

確かに泳ぎが苦手な子にとっては、25メートルは遠い道のりです。が、人がものごとを成し遂げるためには、セミが長く闇の時間を過ごすように、うまくいかない時間、失敗を繰り返す時が必要ではないでしょうか。そして、その苦しい闇が長ければ長いほど、成功したときの喜びは大きく、そこで身につけた自信は計り知れない。必ずや将来生きてはたらいく原動力になっていくに違いありません。

 目標を達成できず、下を向いてプールサイドを歩くあなた、まだ諦めてはいけません。苦しい歩みは自信や感動のエネルギーを蓄える時間です。さあ、もう一度チャレンジしてみてください。

 いよいチャレンジの夏休みです。

 

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七夕に寄せて

 

「じゃあ、将来、何になりたいの」と登校中の子どもに聞いてみた。「消防士か、警察官」ときっぱりと男の子、次の女の子は「ケーキ屋さん」と少し考え笑顔で答えてくれた。今日は、七夕集会がある。学校までの道中、七夕の話題の花が咲いていた。

 七夕集会を支えてくれたのは、保護司会、民生委員、更生保護女性会、老人会、PTA等地域の皆さんだ。前日は、子どもたちに配る七夕飾りの竹を伐採しに、出動してくださった。体育館横に届いた大量の竹の山を見ると、蒸し暑さとヤブ蚊と闘いながら、竹やぶに入り何本もの竹を切り出したご苦労が容易に想像できる。そして今日は、その竹山から七夕飾り用の長さに切り出し、さらにそれに飾りつけをする作業が市民館で待っている。市民館の部屋には、ところ狭しと、短冊をはじめ輪飾り、星、ちょうちん、吹き流しの手作り飾り、そして配布するポケットティッシュの山が並び、作業にあたる方たちの熱意が伝わってくる。

 七夕集会は、あいにく出張で私はその様子を見られなかったが、七夕飾りを前にして、子どもたちの笑顔があふれていたと聞いた。子どもたちは、短冊にどんな願いをかけたのだろうか。夢が生まれ育つところには、必ず大人の存在がある。短冊に願いをかけながら、地域の皆さんへの感謝を忘れないだろう。

 今週は、3年生が警察官だった方による自転車教室、4年生が市職員による「水」の環境学習、5年生がいのちを学ぶ「赤ちゃん」ふれあい体験、6年生がプロのホテルサービスに学ぶ出前授業と、さまざまな部門、業種で、専門性をもった大人が来校し、経験という財産をもとに、体験を交えて教授してくださる。「体験が子どもの育ちに大きく影響する」と言われる。さまざまな大人の存在が、福岡っ子の未来を触発してくれると願うばかりである。

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 Bigハートの実

 

6年生の棟の階段をあがったところに、一枚の掲示物があります。

ハート型にかたどった大きな枠に、小さな小さなシールが貼られています。「1年生の笑顔のために」と、わんぱくタイムや昼放課に、1年生と遊んだ6年生の子は、ここにシールを一枚貼ることになっているそうです。今このBigハートは、赤や黄、青の花びらが、まるで紫陽花の花のように開きはじめていますが、まだ一部、二部咲きと言ったところでしょうか。あまりの大きな枠に、満開まではまだまだ時間がかかりそうで、ここには、1年生を思う心だけでなく、6年生107名の結束と目標を達成する強い意志が必要なのかもしれません。

それでも今日も、1年生をおんぶしたり、手をつないで走ったりしている6年生がいました。その日はたとえ遠くても、子ども一人ひとりのハートには、優しさの灯()がともっているんだなあと感心します。私は、サクラ前線ならぬ優しさ前線が本校に到達し、開花予報がでるのはいつだろうか、6年の先生の満開の開花宣言を楽しみにしつつ、次の教室へと向かいました。

6年生教室の廊下から、カキポットが見えました。これは、先日3年生がカキの摘果を行い、カキの生長を継続観察するモデルです。「モモクリ三年カキ八年」と言われますが、実りを得るまで時間がかかります。

6年生の優しさの花も実際に実になるのは、5年後、1年生の彼らが6年生になったときです。そのころ彼らは、優しくされた思い出を胸に、きっと新入生を誘いに動き出すに違いありません。優しさのBigハートの花は、時間をかけ立派な実となって、後輩へと引き継がれていくのです。そのとき6年生のみなさんは、高校生、自転車で学校に急ぐあなたの横には、新入生をいたわって登校する「1年生の彼ら」がいるのです。

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 世界でいちばん真剣な教室

 

学校公開日、保護者の皆様、ご来校ありがとうございました。また、引き取り訓練、通学路確認のご協力感謝いたします。今回は、5年生のことで書きたいと思います。

2時間目の授業はすべて国語、同じ教材で行われていました。「世界でいちばんやかましい音」うるさい音、やかましい声を好み、それを誇りにしてきたガヤガヤという都が、王子の誕生日に起こった思わぬハプニングで、沈黙のよさを知り、世界でいちばん静かな都に変わるというお話です。これは、文学作品には必ず山場があり、そこにある決定的な変化を学ぶというものです。

教室をのぞきました。1組は、B紙に書かれたこれまでの学習記録をつなげながら、登場人物の変容を整理していました。2組は、黒板に物語の構成が図式化され、因果関係がわかりやすく、感動のルーツが見えてきました。3組は、クライマックスの瞬間を切り取り、子どもたち自身が物語の沈黙の世界を味わおうと動き出そうとしていました。

授業の味つけ方法は違いますが、どのクラスも担任の熱意というスパイスがピリッと効き、迫力あるものでした。子どもたちも、先生の思いに応えようと、本気で向き合います。ガヤガヤの住人が人の声を真剣に聞こうとしたように、友達の考えを真剣に受け止めようとしています。そして、それを温かく見守る保護者のみなさんも……。まさしく「世界でいちばん真剣な教室」だなあと感じて、次の部屋に行きました。

物語同様、人の営みにも山場があります。そして、その瞬間には、つねに本気な姿が垣間見られます。この日は「豊橋学校いのちの日」にちなみ、各教室には、本気で「いのち」を見つめる子どもの姿がありました。

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  ことばの栄養

朝、昇降口付近では、1、2年生の子が、水を滴らせながら、大事そうにペットボトルを抱えていました。1年生はアサガオ、2年生は野菜、「大きくなあれ、大きくなあれ」と願いをこめて、毎日水をあげているのです。いっぱいに広がっている緑の葉を見ていると、子どもたちの思いが届いていると思えてなりません。

時を同じくして、読書週間もスタート。図書室では、福岡ブックフェスタが始まっています。今日も本を借りに足を運んできているあの子は、何冊目なのでしょうか。またボランティアのみなさんによる「おはなし会」も催されていました。ドキドキする話、わくわくする話に、瞳を輝かせ、胸をときめかせている子どもたちがいました。さらに、わんぱくタイムには、あすなろおはなしの部屋が開かれています。あすなろ学級の子どもたちの手作りの絵本や紙芝居と優しい言葉にふれ、参加した子どもたちも心穏やかに時を過ごしていました。

ことばは心の栄養です。「おはよう」「ありがとう」などのあいさつもそうですが、子どもの心をくぐる多くのことばが、彼らの優しさの幹や根を育てていきます。大人たちは、子どもに、温かいことばのシャワーをたっぷり浴びせてあげたいものです。 

 栄養といえば、今週は、学校保健委員会や給食懇談会で、朝食や給食を通して、食について考えます。偏食や不規則な食生活が、大人への人格形成に大きな影響を及ぼすと言われるからです。

ことばも食も特効薬ではありません。ペットボトルから水を垂らすかのごとく、栄養を子どもの心身に少しずつ少しずつ染みこませていきたいものです。性急に成果を求めず、いつかのためにじっくりと取り組む、ある種の大人の覚悟が求められている気がします。

 

 

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  わき役の心

青空にBGMがとどろき、5,6年生のスタンツが始まりました。グランドに手をつき、地面を蹴る、うつぶせになり、立ち上がる、素早く華麗な演技が続いていく。しかも、仲間同士の呼吸が合い、集団の鼓動がひとつに聞こえるほどの一体感を感じる。快晴の空の下、初夏の太陽のスポットを浴び、「君が主役だ」のテーマ通り、まさしく主役でした。

 「大地に伏せ、大地を蹴る」主役としてステージに立ち、子どもたちは、何を感じていたのでしょうか。

 今朝、このステージは、水が浮いていました。昨夜から想定外の大雨となり、運動会の開催すら危ぶまれるほど。昨日教頭先生の作った、てるてる坊主の表情も何か悲しげでした。

 しかし、早朝から、水を掃きだし、地面を馴らし、消えたラインを引く、教職員だけでなく、おやじの会をはじめとする地域の方が、グランド整備に動き出してくれたのでした。子どもたちの演技に支障がないようにと願う、わき役たちの思いが、きっと天に通じたのでしょう。太陽の陽ざしとさわやかな風も手伝って、スタンツの頃は、ベストコンディションになっていました。

 5,6年だけでなく、1年から4年の子どもたちに、「主役になるには、わき役の存在が不可欠だ。わき役に感謝してこそ主役になれる」最後に、そんな話をさせていただきました。

 6月になります。主役の子どもたちには、わき役の心を感じ、学ばせたいと思っています。保護者の皆様、子どもたちへの温かいご声援、そして手本になるようなマナー、名わき役でした。心から感謝いたします。

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運動会に寄せて

 連日、運動場や体育館で、運動会の競技や演技の練習を、元気いっぱいに繰り返している子どもたちが見られています。

 全校練習の時間でした。校舎は先ほどのざわめきが嘘のように静まりかえっています。5年生の教室を覗いてみました。メダカの飼育とインゲンマメの栽培がすすめられていました。メダカは、ペットボトルをお家に、産卵計画が進行中でした。また、インゲンマメの発芽の実験中でしょうか。光に向かって伸びようとしているインゲンが、ニンゲンのように健気に映りました。

 3年生も、水槽が並んでいるではありませんか。なかをのぞくと、イモムシかキャベツを食べていました。おそらくアゲハの幼虫でしょう。幼虫は脱皮を繰り返し、やがてサナギに、そして1か月後にはチョウへと羽化していきます。

 静まり返った教室に、こうして静かにいのちや成長の営みがなされている、このことが、妙に神秘的に映りました。

 一方運動場では、全校児童の応援の練習中で、活気にあふれています。赤、青、白、それぞれが応援団長を中心に、趣向を凝らし、応援歌や踊り、ウエーブの練習中でした。「君が主役だ 運動会 心をひとつに一致団結」とテーマに掲げながらも、まだ声が小さかったり、ばらばらであったりと、先生をやきもきさせています。でも、6年生が先頭に立ち、懸命に呼びかけている姿を見ると、今ががんばりどころだと思わず声をかけたくなります。子どもの心も、経験という脱皮を繰り返しながら、成長していくのでしょう。1週間という期間が、必ずや演技を進化させてくれるに違いありません。

 いよいよ週末は運動会。福岡の空にアゲハチョウが飛んでいくように、子どもたちも主役となって飛躍してほしいと願っています。

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福岡小の美しい風景

 新緑の中、運動会の練習、部活動がスタートしました。

 授業後、校内を歩いていますと、まず太鼓の音が聞こえてきました。多目的室をのぞくと、和太鼓部の演奏が始まっていました。昨年から練習してきた演目なのでしょう。ブランクを感じさせない、力強い音の力に圧倒されました。体育館の方からは、「はいっ」と元気のいい返事が聞こえてきました。遠い昔、バスケボール部顧問であった私は、体育館に入ると、やはり気持ちが引き締まるものです。バスケット部はボールハンドリング、バレー部はトスやレシーブの基礎練習を繰り返していました。まだぎこちなさが目立ちますが、この反復練習で技術のアップは間違いありません。

音楽室からは楽器の音が聞こえてきます。部屋をのぞくと、音楽部の個別練習でした。丁寧に教え合う姿が印象的で、楽器演奏の音が音色へと進化する日も近いことでしょう。

すると、となりの棟から大きな声が聞こえています。6年生の教室のようです。応援団長さんが中心となって、応援の曲にあわせて、歌詞や振り付けをどうするか、熱い議論がなされていました。今年の運動会のテーマどおり、一致団結する姿が楽しみでなりません。

 窓から運動場を眺めました。顧問の声やホイッスルの合図にあわせ、ダッシュやボールタッチを繰り返す陸上部、サッカー部がいました。

私は屋外に出てみました。薫風の中、若葉のざわめきとともに、楽器やホイッスル、歌声と、さまざまな音がシンクロし、まるでオーケストラのように聞こえてきました。これもひとつの福岡小の文化なのでしょう。

校長室に戻るころは、下校時間が近づいていました。オーケストラ演奏はぱたりと消え、静けさが訪れていました。