日誌

全校

樹の名は

 今年は次から次へと台風が襲来しています。94日は、台風21号が四国、関西地方に上陸し、愛知県の学校も休校になりました。思えば、その前々日は校区の運動会が開催されたわけですが、町別対抗のリレーをはじめ、さまざまな競技で奮闘した子どもたちのよい休養日になったのではないでしょうか。

 さて、運動会の翌日3日の夏休み明け集会では、日焼けの色が眩しい元気な顔が戻ってきました。集会の中で、水泳大会や読書感想文の表彰後、福岡の校庭の森の話をすることにしました。

 実は、この夏、本校の豊かな樹々の名を一本一本調べたようと思い立ちました。しかし、これが思わぬ苦戦を強いられることになったのです。夏場は花の季節ではなく、花から木の名を探り当てることはできません。枝ぶりや樹全体の写真を撮り、樹木図鑑と見比べたわけですが、これが全然わかりません。最終的に、ユリノキ、トウカエデ、アメリカスズカケノキ等、その名にたどり着くことができたのは、樹皮の色や模様を確認し、さらに葉を切り取って、何回か図鑑と照らし合わせたからでした。しっかりつき合わないと、樹は名前を教えてくれんなあと、思わずつぶやいてしまいました。

 遠くから見たり、近くで観察したりと、深くかかわって、わかる樹の名前。これは、人も同じです。何度も何度も関わって、その人のことが見えてくる。子どもと子どもが、大人と子どもが、さらに大人同士がかかわりあって進められていた、あの校区の運動会のように、心のつながりを大切にした福岡小学校を作りあげてきたいと改めて感じています。

初陣

 テレビをつけると、高校野球の開会式をやっていました。今年は、100回目の記念大会だそうです。「野球ができることの幸せ」ということばが印象的でした。遠く昔は、戦争により大会そのものが開催できず、野球をすることすら叶わず戦禍に散っていった球児たちもいました。最近においては、西日本豪雨により甚大な被害をうけた被災地では、野球どころではなかったでしょう。歴史や現実をふまえたとき「野球ができる」幸せがより重く受け止めることができました。甲子園では、「野球ができる幸せ」を球児たちはプレーで体現し、私たちに多くの感動を与えてくれました。

 しかし、子どもたちにとって本物の感動は、本人の体験の中にあります。小学生のコンサートでは、市内の仲間たちと心ひとつに歌声で共鳴し合い、水泳大会では、自己ベストをめざした個人の泳ぎとともに、リレーで「チーム福岡」を感じるなど、会場には、甲子園に負けないドラマがありました。

 夏休みも後半に入り、バレー、バスケットボール、サッカー部と、10月の球技大会に向けて、練習試合が始まりました。猛暑が続いた今年は、練習時間も十分でなく、初陣の子どもたちの表情も、今ひとつ自信がなさそうです。そして、いざ試合が始まっても、動きがわからない、ミスを繰り返してしまうなど、ぎこちなさばかりが目立っています。その姿に、下を向くな、声を出せ、傍から見ていて声をかけずにはいられませんでした。まだ始まったばかり、失敗は成功への布石です、あなたの心がけ次第で、今日の失敗がいつしか感動という輝きを引き出してくれるのです。「プレーができる楽しさ」を感じながら頑張ってほしいと願うこの頃です。

夏休み前の熱くて濃いひととき 

  夏休み前の最後の日、今年も泳力補充が行われました。水泳が苦手な子へのマンツーマン指導、4年生以上35人ほどの子どもたちに全職員が指導にあたります。泳ぎの得意な先生はさすがに技術指導がうまく、泳ぎが得意でない先生は泳げない子の気持ちがわかる、それぞれの立場から、さまざまなアプローチで子どもに迫ります。自ら泳ぎフォームの手本を示す先生、目標地点を示し声をかけ続ける先生、道具を使って泳げるという感覚を味わわせようとする先生、子どもと同じ気持ちになっていっしょに泳ぐ先生。子どもと先生とが一つの目標に向かう姿を、昔泳ぎが不得意だった私は、こんな先生たちに指導してもらえたらと、憧れに近い気持ちで眺めていました。

 そして、最後は泳力試験。先生たちが一斉に応援団に変わり、一人一人に声援のシャワーを浴びせます。目標達成の子もいます。残念だった子もいます。が、プールから上がったどの子の表情も清々しさにあふれていました。この時間で伸びた全員の総距離は259メートル、熱くて濃い水泳指導のひとときでした。

 熱くて濃いのは、プールだけではありません。外では、PTAの皆さんが、フェスティバルの会場設営や物品搬入、最終打ち合わせと、汗だくとなって走り回っていました。ありがとうございました。この熱くて濃い時間が明日のわくわくの福岡ふれあいフェスティバルを支えてくれたのです。    

福岡っ子の安全を祈って

 1年に一度の七夕の日に、西日本では数十年に一度という記録的な豪雨が発生し、川の氾濫や土砂崩れで、多くの尊い命が奪われました。また、同じ日に、関東では震度5弱の地震があり、大阪地震の再来かと緊張感が走りました。

 自然災害だけではありません。5月には新潟で小学生連れ去り殺人・死体遺棄、先日は、富山で拳銃をもった男が小学校に侵入するという不審者の事件も記憶に新しいところです。

 豊橋市においても、7月登校途中の中学生の自転車が、右折するトラックに巻き込まれ、いのちを落とすという事故がありました。事故現場には、お供えの花やお菓子がうず高く積まれていました。黄昏時現場を通ると、その交差点で信号待ちをしている親子づれ3人が目に入りました。2人の小学生の手には、花束がありました。横断歩道を渡って、花を手向け、お参りをするのでしょう。

 やがて信号は青になりました。2人の小学生は、右手を天に突き出すように、まっすぐあげて、渡り始めます。交差点に止まっている運転手にも、亡くなった少年にも見えるようにと、その手を高く高くかざす姿が、事故の悲劇を訴えている気がしました。

 福岡校区も、狭い路地や坂道が多く、交通事情は心配です。また、大雨の時は柳生川をはじめ河川の氾濫も予想されますし、不審者情報も少なくありません。個人懇談後は、楽しみな夏休みですが、心配の種は尽きることはありません。もしものときのために、判断する、自制する、動き出す、子どもの心に道標が必要です。私たち大人は、子どもの心に留まるような言葉を発し続けならないのです。

大好きだよ

大好きだよ」

まっさらな用紙に、このことばが一行ありました。あすなろ郵便で届いた一通のハガキです。差出人は1年生でした。50歳以上離れた女性からの告白に、年甲斐もなくときめいてしまいました。こんなまっすぐな純真な気持ちを、私はいつごろからか忘れてしまっていました。

 そういえば先日、2年生の教室で、「お手紙」というお話で、真剣な話し合いの授業がされていました。一度も手紙をもらったことのないガマくん、手紙を待ちわびる切ない彼の思いが描かれています。そして、ついにカエル君からのはじめての手紙をもらった感激。私は、ガマ君の気持ちが痛いほどよくわかります。

 メールやライン全盛時代にあって、こうした手作りのものは、時間や手間がかかった分だけ本人にぬくもりや感動を届けてくれるものです。あすなろ学級の郵便屋さん、優しい気持ちも届けてくれ、ありがとうございました。

 7月になりました。斎藤司書さんや図書館ボランティアのみなさんによって、笹飾りがとりつけられ、図書館に手作りの七夕の空間が生まれました。笹飾りの短冊には、「1年生のお手本になれますように」「弟の中耳炎が治ってプールに入れますように」とここにも優しさが並んでいます。

 いよいよ5日には、恒例のスターフェスティバル(七夕会)が開かれます。地域のみなさんが、竹の切り出しから飾り物づくりまで、下準備をしっかりしていただき、まさに至れり尽くせりの手作りの催しです。ありがとうございます。私は、地域の皆さんに「大好きだよ」と短冊に書いて、感謝の気持ちを届けたくなりました。