日誌

全校

成人式で和太鼓部演奏

1月7日(日)に、本校の和太鼓部が校区成人式に参加。
演奏を披露し、成人をお祝いしました。

眼鏡 校長だより

活力ある福岡っ子に

お話タイムは、毎週金曜日の朝に行っています。話し合うテーマをクラスで決め、それを話し合うというものです。

この日は、「持久走大会に向けてがんばりたいこと」「力試しはどんな問題がでるか」「力試しと持久走、どちらがいいか(いやか)」「持久走大会中、前の子がショートカットしたらあなたはどうするか」と、直前に控えた持久走や力試しテストにちなんだテーマが多く話し合われていました。クラスの個性が垣間見られるお話タイム、教室を梯子してのぞき見することは、私にとって、ひとつの楽しみになりました。

 やはり「テーマ」が魅力的だと、意見を言いたくなるものです。これまでに『「長生きできるが不幸になる」のと、「1年しか生きられないけど幸福に生きられる」のとでは、どちらを選ぶか』『引っ越すとしたら、「ゴキブリが100匹の家」と、「アリが1000匹の家」、どちらに引っ越すか』『「無限の金」と「無限の時間」、どちらを選ぶか』と過激というか究極のテーマも数多くありました。それが、子どもの意欲をそそるようで、熱っぽく語る姿があり、私も引きこまれてしまいました。

 また、平成二十九年の終わりにふさわしく、「あなたの1年を漢字一字であらわすと、どうなるか」というテーマで話し合うクラスもありました。自分を見つめ、ふりかえり、考えた選りすぐりの漢字に、「ああ」「なるほどね」と納得や驚きの感嘆の友の声が聞こえてきます。黒板に記された「考」「動」「成」「芽」「笑」……の漢字は、この子たちの成長の証だったのです。

一方、世間はといいますと、北朝鮮情勢の影響でしょうか、「北」に決まったそうです。そこで、はたして、本校はと考えてみました。

活発に話し合う授業や児童会活動 あいさつや行事で活気あふれる子ども、そして、水泳部優勝、バスケット部準優勝をはじめ部活動の活躍。本校は「活」でどうでしょうか。

平成三十年、福岡っ子をはじめ皆様にとって、素晴らしい一年になりますように。

 

眼鏡 校長だより

晩秋の風景のなかに

 

琥珀色に色づいたヒマラヤスギと黄金色のイチョウが、陽光に照らされ鮮やかに輝いています。街路樹や校内のあちこちにあるカエデも、紅に染まり、その存在感を示しています。サクラは、赤色から柿色、そして山吹色へと見事なグラディエ―ションに、見る人を立ち止まらせています。

晩秋から初冬へ、本校の校庭は美しい時を迎えていました。この風景の中を、子どもたちは息を弾ませ、走っていきます。今年もかけ足訓練が始まりました。私も、プラタナス、イチョウの落ち葉の絨毯を踏む音を楽しみながら、外周をゆっくり走ることにしています。それにしても、超大型台風やゲリラ豪雨、から梅雨など異常気象に見舞われながらも、季節との約束を守るように、今年もすてきな風景を私たちに届けてくれました。

一方、図書館では、図書ボランティアの皆さんによって、入り口にはクリスマスツリーが置かれ、一足早く冬の装いとなっています。各所各所、工夫が凝らされ、食欲ならぬ読書欲をそそる飾りつけや本の配置がされ、頭の下がる思いです。

また、あすなろの部屋にも、あすなろ美術館が開館していました。のぞいてみますと、あすなろの子どもたちが制作した絵画、工作と、力作ぞろいです。なかでも、運動会、夏休み、福岡っ子発表会の絵は、まるで今年1年の思い出をたどっているかのようでした。

さらに体育館では、老人会の皆さんから、昔の遊びを教えてもらう1年生の姿がありました。「昔の遊びの会」でした。お年寄りと子どもたちの間に、笑顔や優しいことばが生まれ、紅葉に負けぬほど、ぬくもりのある空間になっていました。

環境が人を育てると言われます。美しい自然や温かい人たち囲まれて、人は優しさを紡いでいくのでしょう。

そういえば、登校中、一匹のカマキリを捕まえた子がいました。すでに産卵も終えたのでしょう、カマキリは、抵抗することもしません。そんなカマキリを、そっと優しく垣根に置いていく子。カマキリは、登校する子の後ろ姿をじっと見守っているかのようでした。


眼鏡 校長だより

  忘れられない瞬間

 

台風による延期で、バスケットボール決勝トーナメントが、四日、本校で開かれた。この日は、あいにくミニバスケットボール大会と重なり、多くのチームがベストメンバーで臨めない大会となった。

 メンバーが抜けると、試合の様相が読めない。バスケットは、「習慣」のスポーツと言われる。いつもの練習をこなし、そこで染みこませてきた習慣の中で、仲間同士の暗黙のルールが生まれる。それが一人ぬけることで大きく崩れ、大敗するチームをよく見てきた。

 本校も大黒柱がいない中での準決勝、決勝だった。本校の先生も保護者の方々も大勢が応援に来た。が、大いに期待を寄せながらも、心配で不安を隠せない表情で、試合を見守っていた。私もその一人であったと思う。

 が、福岡の子どもたちは違った。戻ってくるキャプテンのためにと、自分がやらなければと、役割を自覚し立ち向った。それが、シュートやディフェンスの思い切りのよさにつながり、それが随所に決まった。ピンチもあったが、試合の流れをけっして相手に渡さなかった。「習慣」にはない、いつもと違う局面を、キャプテンにつなぐという「思い」がしのいだのだった。

 そして、決勝のハーフタイムに、キャプテンはついに帰ってきた。今までじっと耐えていたのだろう。その時見せた選手たちの何とも言えぬ安堵の表情、私はこの瞬間を忘れることはないだろう。