全校
鈴の鳴る道
「おはようございます」 黄色いランドセルカバーの女の子と挨拶を交わしました。ランドセルは重そうですが、上級生のお姉さんの右手をしっかり握りしめて歩む姿は、入学当時に比べると、格段にたくましくなりました。
朝の陽ざしが道路にさしこみ、子どもたちの影が通学班の後を追いかけるように続いています。なんとも気持ちのよい朝です。ただ今朝の心地よさは、挨拶や笑顔の明るさだけではありません。彼女のランドセルにくくり付けられている鈴が奏でる音が、彼女が歩くたび、チリンチリンと、BGMのように聞こえるのです。ああ、あの鈴の音に、我が子に対する、親御さんの安全や幸せの祈りがこめられているんだなあと思うと、なんともいえぬ気持ちになりました。
坂を上っていく彼女の後ろ姿を見送っていました。ふと思い出したのは、星野富弘氏の「鈴の鳴る道」というお話です。若き日大けがを負い車いす生活を余儀なくされた作者にとって、道路の段差やでこぼこ道、カーブは、その振動によって苦痛を味わう、避けて通りたい道だったそうです。しかし、その振動によって、ぶらさがっている鈴が得も言われぬ音色を奏でるではありませんか。彼は、逆境を乗り越えると、必ずよいこともあると、鈴から学び、でこぼこもなるべく迂回せずに進もうと決意するのです。
黄色いランドセルの後ろ姿は、ずいぶん遠くなりました。これから彼女の人生にも、困難や試練が待っていることでしょう。でも、あの足取りの力強さに、彼女は、心の鈴を鳴らしながら成長していくと思わずにはいられませんでした。あすなろの願い
話は半年前にさかのぼります。福岡っ子発表会で、あすなろ学級の皆さんが、「水戸黄門」を演じたことを覚えていますか。その劇中で、メモ帳をもった謎のじいさんが現れましたね。そのじいさんが、あすなろの黄門様一行にプレゼントします。あれはいったい何でしたか。
正解は、あすなろの木。
あすなろの木は、ひのきと似通っています。「あすはヒノキのようになろう」から命名されたと言われる「あすなろ」は、ヒノキに劣るイメージがあります。しかし、実際には、強度、耐久性に優れ、ヒノキに負けない材質だそうです。「あすなろ」という言葉自体も、「劣っている」というよりも「向上心があり前向きなもの」としての響きが強く、あすなろ学級のように、いい意味で使われることが多いです。
昨年度末、ついに本物のあすなろの苗木が届きました。あすなろ学級の子どもたちは、セレモニーを行い、グランド西の遊具の近くに植樹しました。苗木の背丈はまだ1年生より低いですが、いつかは人間の背丈を越え、本校の大樹と肩をならべることでしょう。
新年度が始まりました。各学年の子どもたちはそれぞれが目標を掲げ、歩み始めました。「算数が苦手だからがんばる」「部活で選手になる」「1年生に優しくなる」「たくさん笑う」と一つ一つ読み進めると、あすなろの木のように、未来にはこうなりたいという思いがひしひしと伝わってきます。
今、本校の校庭の樹木も、初夏にむかって、若芽が一斉にふきだしています。その風景の美しさは、子どもたちの抱いている明るい夢や未来を思わせてくれます。サクラの美しさ
今年は、サクラが待っていてくれました。
最近は、温暖化の影響か開花が早く、例年、入学式のころは、散り始めているというのが常でした。今年も三月末には、花が開き始め、入学式まではもたないと危惧されたわけですが、月初めの寒波で、満開の日が後ずさりしていったのでした。おかげで、程よいサクラの咲き具合で、入学の日を迎えることができました。
サクラの花は、咲き始めから散るまでその期間は短く、はかない象徴として、出会いや別れにたとえられます。また、花の色は、白や淡いピンク。品種や気候によって、多少違うようです。ただ注目すべきことは、わずかな期間にかかわらず、花の色が変わっていくということです。開花しても、そこにとどまることなく、変化し続ける、これが、サクラのひとつの魅力なのかもかもしれません。
入学式前日、新6年生が準備にあたりました。黙々と活動する姿に胸を打たれました。思えば、昨年度の6年生を送る会から今日に至るまで、わずかな期間にもかかわらず、日に日に変わっていく6年生の子どもたちの姿に、サクラの美しさを見た気がします。
人の成長は、時間ではありません。そこにかける思いが、人を変えていくのです。
さあ 始まる
体育館では、6年生が卒業式の練習中でした。フロア中央にある演台で、証書を授与する一連の所作は、ややぎこちなく不自然さがぬぐいされません。でも、卒業の歌になると、その美しいハーモニーに、会場が一変、卒業の空気に包まれました。卒業式が日一日と迫ってくる中、次第に思いと動きがつながり、自然なものになっていくのでしょう。
通学班は、卒業前に、再編成、新年度をふまえて、新しい班長さんのもと、新しい通学班登校がはじまりました。
朝、眺めてみると、その班はいつもより少し登校時間が早く、見守り隊の方たちの立つ交差点に現れました。「早いなあ」の声に、元気のよい「おはようございます」が返ってきました。ランドセル以外に責任という重荷を背負いながらも、やる気と自覚で、その重さを感じさせない表情が、なんとも頼もしく思えました。
「校長先生、実はね……」と、見守り隊の方が、私に一枚の手紙をみせてくれました。そこには、「いつも感謝の気持ちを伝えたかったのですが、はずかしくて言えませんでした」と見守り隊の方への感謝の気持ちが綴られています。
「長い間、見守り隊をやっているけど、こんなふうに手紙をもらうのは初めてだ」と見守り隊の方は、目を細めながら、その手紙を宝物のようにふところにしまいました。感謝を伝える「ありがとうの会」が先日あったわけですが、本人としてみれば。直接、感謝の意を伝えたいと動かずにはいられなかったのでしょう。一通の手紙の優しさが見守り隊の方に元気を贈ったのでした。
卒業や進級という節目に、何かをはじめようという気運。子どもたちも、新しい季節に向けて動き始めています。成長し続ける4年生に
お話タイムは、子どもたちの話す力、聞く力を高めるため、金曜日の朝の時間に行われている活動です。話し合うテーマは、子どもたちの様子により、彼らが提案したり、教師が考えたりしています。「飼いたいペットは何?」「ディズニーランドとユニバーサルとどちらがいい?」「外国人に薦めたい日本食は?」「30分後に地球が滅亡するなら何をする?」など、さまざまなテーマで話し合われています。
この日、4年生に注目しました。4年生は、4クラス共通テーマで行われていました。テーマは「最後まで話をしっかり聞くにはどうしたらよいか」傾聴は、高学年でもなかなか難しいことです。いつも活気のある4年生ですが、テーマがテーマだけに、この日は、友達の声をしっかり聞こうと静けさが広がっていました。
あるクラスは、まず話を聞くことができているかどうかと、自分たちの姿のふりかえりから始めていました。「できていない現状がある」それを受けて、それではその対策を考えようとしていました。また、あるクラスでは、話し手のことを考えて聞くという意識の面と、相手の方向に体や目線を向けるという方法が大事だと考えました。さらに、あるクラスでは、やはりご褒美や罰則がないと、この難題をクリアできないのではないかと考える子が多数いました。こんな意見もありました。「話す人が短くまとめて話す」と聞き手ではなく、話し手に目を向けた鋭い意見に感心しました。
4つのクラスがどう結論づけたかはわかりませんが、たとえ同じテーマであっても、答えはひとつとは限らない。そこに向けて、どのように考えるかが重要なのだと思います。そうした意味から、4年生は、とてもよい時間を過ごしていると感じました。
4年生も来年度はいよいよ高学年。話し合いを話し合いだけに終わらせず、次は行動です。先生の話、友達の声に真剣に耳を傾ける姿を、今度は見に行こうと考えています。