日誌

全校

自信の種

 老人会のみなさんをお招きし、昔遊びの会を行いました。

 体育館では、だるま落とし、めんこ、けん玉、ぎしぎしとんぼ、竹とんぼ、ヨーヨー、折り紙、おはじき、お手玉、あやとり、コマと、さまざまな昔遊びが用意され、1年生とが関わり合う場がひろがっていました。

 はじめの式が終わり、いよいよ始まりです。

 各コーナーに赴いた1年生にとっては、はじめての経験、不安や緊張をまとって、遊び道具を手にとったことでしょう。もしかしたら躊躇していたかもしれない。しかし、お年寄りの皆さんの励ましと笑顔に背中を押され、「勇気を出してトライ」の言葉通り、挑戦をしました。

 一回ではできなかったかもしれない。でも何回か繰り返しているうちにコツを覚え、たまたまできたその一回に、お年寄りが「すごい、すごい」のほめほめシャワーを浴びせます。その言葉に子どもは大喜び、その一回が大切な自信につながっていきました。

 子どもたちは、こんなふうに、体験を通して自信の種を心に植えながら成長していきます。それは、ゲームでは味わえない感覚です。そして、その種が芽吹き、いつか「鉄棒で逆上がりができたよ」「縄跳びで二重跳びが跳べたよ」「フラフープができたよ」「自転車が乗れたよと」いうように、さまざまな「できた」の花を咲かせていくのです。

 時を同じくして、校長室では、2年生の九九検定がスタートしました。学校探検以来の入室に緊張は隠せません。言い始めの4の段は、いつもは楽勝なのに、少しもたつきます。それでも、難関の7の段を言い切り、認定証を手にしたその笑顔は、昔遊びの顔と、どこか似ている気がしました。

 校長室でも、寒い冬とはいえ、「できた」の花が、満開になっています。

走るということ

 12月になりました。先生方が忙しそうに走っている姿を見ると、まさに師走だなあと感じます。

 しかし、子どもたちも今、教員に負けないくらい走っています。校内持久走大会や駅伝大会を間近に控え、一日中、校庭は、白熱した走りに包まれます。

まず、午前のかけあしタイムでは、運動場を全校児童が走ります。先生たちが逆走してすれ違う子に声をかけ続けたり、ペースメーカーとなって子どもたちを先導したりと、走りに手抜きがないように、厳しくも温かいまなざしや励ましが子どもたちの心をとらえます。

次に、昼放課は自主練習です。ドッチビーや鬼ごっこなどで遊んでいる子のまわりを走っています。高学年と低学年が仲良く走る姿は、なんと微笑ましいことでしょう。お兄さん、お姉さんと走る低学年も、かわいい弟、妹たちと走る高学年の表情も、笑顔があふれ、とても幸せそうです。

最後に、夕方の部活動。ただ黙々と走り込んでいる姿は、厳しい自分との闘いです。何周もグランドを回ります。周回ごとに、顧問の先生からの「あと20秒」「ペースを上げろ」の大声に、心のアクセルを踏んで、ペースを上げていく子どもたちがいます。時間との闘いです。そして、ついにラスト一周、走り終えた仲間たちから「がんばれ」「ファイト」という声がとどろきます。その声に、歯を食いしばって再び手をふり、足をあげます。仲間が待ち受けるゴールに、駆けこんでいく風景は、西日に照らされてとても美しく感じます。

 走ることは人生とよく似ています。毎日同じようでも決して同じでない一周一周を、いろいろな人やことばと出会いながら、心や力を磨いていくのです。

アリガトウノカタチ

福岡っ子発表会の4年生「イノチノカタチ」の中で、「お父さん、お母さん、ありがとう」という台詞が心に残りました。10歳の節目を迎える4年生にとって、いのちの重さを学び、自分の成長を見つめたとき、そこにはかけがえのない父さん、母さんの存在があった。そんな感謝の心が演技に表れていました。

道徳科が教科になり、感謝の心を教えるわけですが、授業の中でその心はなかなか育つものではありません。やはり「ありがとう」という言葉を使ったり、行動に示したりと形にして、人は育つのでしょう。

給食終了後の配膳室を話題にします。配膳室の前に一列に並んだ子どもたちが、一斉に「ありがとうございました 今日も美味しかったです」元気のよい感謝の気持ちを伝えます。室内にさわやかな空気が流れ、給食従業員の定盛さん、牧野さんや栄養教諭の近藤先生も、一瞬動きを止めて、その声に笑顔で応えてくれます。が、挨拶がすむと、彼女たちはすぐさま動き出します。センターから食器回収に来るのが、13:3015分足らずですべての作業を完了しなければならないからです。傍から見ていると、牛乳もそうですが、全クラスの食缶を一つ一つ逆さにして残食を他の容器に集める作業がいかにも大変そうです。なかには残食のたくさん入った重そうな食缶もありました。空にした食缶や食器のかごは、大きなコンテナに載せられ、外に運び出されてトラックの来るのを待ちます。そんな手際のよい一連の動きに、給食委員の子たちも協力してくれているのです。これもアリガトウの形です。

 クラスで残食を減らすことは、自らの健康とともに、給食の従業員さんを楽にしてあげることにもつながる。これもアリガトウを形にすることだったのです。  

待ってました


 給食の配膳車を押して、職員室前を悠然と歩む老人がいました。長いひげに、黄色い和帽子、そして袴、よく見ればご老公様ではありませんか。今年の福岡っ子発表会、あすなろ学級の出し物は、木原和子脚本「水戸黄門」だそうです。ご老公様は、このあとすぐの体育館練習に備え先に衣装を着替え、格さんと助さんをしたがえ、食器の片づけに向かう道中だったのです。

 さっそく私もその姿に誘われて体育館を覗いてみますと、舞台には、ご老公一行、村人、盗人に扮したあすなろ学級の子どもたちが元気いっぱい演技をしていました。

この水戸黄門のドラマは、私が幼いころから放映されており、何代か主演男優がかわりながら平成時代まで続いています。クライマックスの時間帯になると、「控えおろう、……この紋どころが目に入らぬか」とかざした印籠に、これまで躍動感にあふれた空気が一転静まり、おきまりのBGMとともに、ひれ伏す悪者たちの光景が印象的です。待ってました!と言わんばかりに、心がスカッとしたことを覚えています。私たちは、この瞬間をいつも待っていたのでした。

 福岡っ子発表会に向けて、今練習の佳境を迎えています。各学年、黄門様のような主役は、一握りの子かもしれませんが、すべての子ども一人一人にストーリーがあり、クライマックスがあります。子どもたちは、自分の出番に備えて、台詞を心の中で何度も復唱し、そして、きたるべきそのとき、動きや表情を添えて力いっぱい表現するのです。保護者の皆様は、印籠をかかげるような思いで語る、我が子の出番に、ひれ伏す必要はありませんが、拍手や笑い、涙を届けていただけるとありがたいと思います。         

声を出して失敗を取り返す


 
 サッカーの決勝トーナメントが東田小学校で開かれた。本校は幸小と対戦。幸小は、テクニック、キック力に優れ、何度も福岡のゴールを脅かした。本校の子どもたちは、ボールに喰らいつき、全員でゴールを死守し、そこから全員で懸命に走った。結局、0対1で敗れたが、ナイスゲームであった。

 前々日の金曜日は、最後の練習だった。西日を浴びながら、広いグランドを駆けまわる選手たちがいた。最後だから自分の目に収めようと外に出ると、「こんにちは」と大きな挨拶が聞こえた。この日は、ゲーム形式の練習だった。時間短縮のために、コート外に出てしまったボールは追うことをせず、ストックしてあるボールを次々とコート内に蹴りこみ、途切れることのない練習を続けた。挨拶のお礼でもないが、コートの外に点々と転がるボールを拾い集めることにした。幼い頃、こうして夢中になって球拾いして、サッカーが楽しくて楽しくて仕方がないことを思い出していた。そんなときコートの中から「声を出して 失敗を取り返せ!!」と大きな声が響いた。ミスした子へのチームメイトの呼びかけである。失敗はだれにでもある。コミュニケーションを取り合って、ピンチを乗り越えようという意味なのだろう。その声に反応したのか、一声返して走り出した子どもがいた。勢いのある練習風景だった。

 決勝トーナメント、相手の巧みなプレーと強力な守りに、確かにミスはあった。しかし、声を出して合って、カバーする姿は、一昨日の練習そのままであった。

 「声を出して失敗を取り返せ。」子どもだけでなく、私たち大人が、人と関わって生きていく上で通じるこの精神は、私がグランドで拾った珠玉の言葉である。