H28学校通信7号(10月7日)

開校時の校舎建設(明治44年:1909年)

 平成28年度学校通信「ふれ愛だより」では、「松山小ヒストリア」と題して、松山小の歴史を学校所蔵の写真を中心に紹介していきます。
上の写真は,明治45年4月の開校に向けて,校舎が建設されているところです。その年は,韓国併合の前年です。

H28学校通信8号(10月25日)

 創立時(明治45年)の松山尋常小学校

 狭間尋常小学校から分離,開校しました。新築された木造2階建て校舎に,503人の児童が学びました。この年,大正に改元されました。

H28学校通信9号(11月8日)
H28学校通信10号(11月22日)

 昭和天皇豊橋行幸記念「理科」の授業風景(昭和2年)

 この年までに2回の校地拡張と校舎増築が行われ,理科室や雨天体操場兼講堂も整備されました。写真を見ると,子どもたちのほとんどが和服姿であることがわかります。また,この年に第1回普通選挙が行われました。

H28学校通信11号(12月12日)

 鉄筋3階建校舎完成(昭和11年)

 開校から25周年を迎えた昭和11(1936),鉄筋3階建校舎が完成しました。この年,陸軍兵士が国会議事堂を占拠した二・二六事件がおきました。

学校通信12号(1月12日)

 機銃弾の残る窓枠(3階研修室前に保管)

 1945年(昭和20)6月19日の爆撃機による豊橋大空襲で木造校舎は全焼しましたが,鉄筋校舎は焼け残りました。その鉄筋校舎の窓枠には,戦闘機の機銃掃射による弾痕が現

校舎になるまで残っていました。

H28学校通信13号(1月24日)

 上の写真は,狭間小学校の昭和24年の学校日誌です。空襲の被害が大きかった狭間小は同年12月末で閉校し,創立40年の歴史を閉じました。松山小の校舎が増築され狭間小児童480名は松山小に通学することになりました。
H28学校通信14号(2月7日)

 昭和24年,狭間小を吸収合併する以前,松山小の校章は松皮菱の中に『山』の字を配したもの,狭間小は吉田藩主の家紋の一部,揚羽蝶を図案化したものでした。現在の松山小の校章(左図)から両者を組み合わせたことが分かります。
H28学校通信15号(2月20日)

 市内小学校で初のプール(昭和12年)
 1937年,市内の小学校では初のプールが校区民の寄付により建設されました。現在のプールは,3代目(昭和40年~,平成2年~)です。
H28学校通信16号(3月6日)

 左:旧校舎と正門,右:現校舎 
 1990年(平成2),鉄筋3階建ての校舎や,プールが解体され,全面改築が開始されました。翌年竣工した新校舎は,鉄筋4階建て屋上にはプール,別棟に体育館と市民館。採光性,通気性,機能性だけでなく,外観のデザイン性にも優れた現在の校舎が完成しました。