豊橋市立青陵中学校
学校の歴史
青陵中学校の誕生
昭和22年度 | |
豊橋市立北部第二中学校設立 | |
市の告示により,新制中学校として10校が市内に誕生したのであるが,そのうち2校が青陵校区に設立された。そのうちの1校である北部第二中学校は,本校を牛川小学校区に置き,分教場を下条小学校の校舎内に間借りする形で,小学生と教室を隣り合わせで授業を開始した。陽春4月のことであった。当時の生徒数は275名,7学級でのスタートであった。 | |
豊橋市立東部中学校設立 | |
東部中学校は本校を向山町官有地の旧工兵隊建物内に置き,東田小学校内の東田教場,市立高等女学校内の向山教場,岩田小学校内の岩田教場の各分教場でやっぱり間借りする形で授業を開始した。 しかもなお教室不足であったため,午前,午後の二部制で授業を行った。生徒数595名,学級数13の構成でスタートした。 | |
昭和23年度 | |
豊橋市立青陵中学校誕生 | |
豊橋青陵高等学校(豊橋第二中学校が改名)の豊橋市立高等学校との統合・移転にともない,昭和23年10月1日,現在の地に豊橋市立東部中学校と豊橋市立北部第二中学校が合併し,豊橋市立青陵中学校が開校した。ここに,青陵中学校の歴史が幕を開けた。 | |
現在の敷地には,昭和22年9月末まで,6・3制実施にともなって,豊橋第二中学校が改名した豊橋青陵高等学校があった。 ところが、当時の米駐留軍の方針に基づき,青陵高等学校は豊橋市立高等学校と統合して,向山に移転し,現在の愛知県立豊橋東高等学校となった。 青陵高等学校が去ったあとに,向山町官有地の旧工兵隊建物内に本拠を置き,3分教場を持っていた豊橋市立東部中学校と,牛川小学校内に本拠を置き,1分教場を持っていた豊橋市立北部第二中学校が合併して現在の豊橋市立青陵中学校が10月1日に発足した。 校長には,前東部中学校長の志村斐邦先生が着任した。開校にあたって,校舎や広い環境には恵まれていたが,物資の極端に不足した時代で,内部の机や椅子をはじめとして教具の準備には先生・生徒ともども不自由な思いと多くの苦労を味わった。 |
校章の制定 | 昭和23年12月24日 |
当時の美術科主任,仲井義雄先生デザインを基本として校章図案の作成にあたった。大きな「中」の字は,旧制の愛知県立第二中学校(後に愛知県立青陵高等学校)の校章で,その大きさのために俗に「デカ中」と呼ばれていた。青陵中学校の校章は「デカ中」の中に「青陵」の文字を配したものである。 |
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