日誌

全国戦没者追悼式当日における半旗の掲揚

8月15日は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」(1982年から呼び方が変わりましたです。今から77年前(1945年)の8月、太平洋戦争が終わりました。今日は、この大戦において亡くなられたかたがたを追悼し、平和を祈念するため、半旗を揚げさせていただきました。


豊橋空襲もあったそうです。

豊橋空襲(とよはしくうしゅう)は、第二次世界大戦中の1945年6月19日深夜から20日未明にかけ、愛知県豊橋市に対して行われた、ボーイングB-29戦略爆撃機による空襲

この夜は他にも福岡福岡大空襲)、静岡静岡大空襲)が空襲を受けている。市街地の多くが殲滅に近いほどに焼失したため、空襲直後は豊橋駅の東口から現在の豊橋鉄道東田本線が通る東八町電停から東田坂上電停の坂が肉眼で見えるほどであった。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 当時学校や家、それこそ町や村全体が空襲で焼けて、行き場がなくなってしまった家族もあったそうです。そのため、お母さんの実家へ疎開していた子もいたということです。私たちの豊南校区は、どうだったのでしょう?

 旗を揚げていると、「わんぱくの森」や「となみランド」から『シャシャシャ』とクマゼミ、『ツクツクホーシ』とツクツクボウシ、『クルックー』と鳩、少し前までは、『ホーホケキョ』とウグイス、とてもほっこりする鳴き声が聞こえていました。
 また、シオカラトンボやアカトンボたちが、「もう秋だよ」と田んぼやプールの周りを飛び回っていました。
 飼育小屋では、3羽のカモがのんびりしていました。

 


 これが、豊南小学校の今日です。

◎ 職員室の書棚から
 何気なく見ていると、「豊南小学校百年のあゆみ」を見つけました。


パラパラとめくる中で、興味深いページがありました。読んでみると、豊南小学校への思いや願いが伝わってきました。また、「豊南小学校は温かい学校だなあ」と感じていましたが、その理由が少しわかりました。
 〇となみの心 (元豊南小学校長     神藤 峰一氏)となみの心.pdf
 〇所感    (元豊南小学校長     鈴木 英一氏)所感.pdf 
 〇雑感    (元高豊村立青年学校長  石田 常一氏)雑感.pdf
 〇教育に思う (高豊教育後援会長    伴  哲夫氏)教育に思う.pdf
 〇教育百年史によせて (豊橋市議会議員 水野 安吉氏)教育百年史によせて.pdf
 〇思い出   (高豊校区総代      黒田 九一氏)思い出.pdf
「豊南小学校百年のあゆみ」より抜粋


こんな平和な日々がいつまでも続くよう、「チーム豊南」で取り組んでいきたいと思います。