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「銅鐸の国」開催にあたって その4

12月10日(火)「銅鐸の国」開催にあたって その4

【伊奈銅鐸のこれから】

 伊奈銅鐸出土地は「伊奈遺跡」と呼ばれているが、ここでは銅鐸が発見されただけではなかった。出土地点の南にはハマグリの貝層があり、周囲では弥生土器の壺や高坏、ふたなどと、石斧が拾われている。この弥生土器の一部は豊田氏から京都大学に贈られて、現在は同大総合博物館にある。また、驚くなかれ、銅鐸から東へ約15mのところで手足を折り曲げて葬られていた「人骨」が発見されていたので。これを調査された東京帝国大学人類学教室の宮坂先生によると、この骨は12、3歳の子供であるとのこと。ただ、弥生時代の人であるかは残念ながら分かっていない。

 銅鐸は、加茂岩倉遺跡(島根県にある銅鐸39個が大量確認された遺跡)でもそうであるように、ほとんどが銅鐸しか出てこない。しかし、ここ伊奈遺跡では、確かに弥生時代の人々が生活していたのだという証があった。ただ、だからといって、どうしてここに銅鐸がしかも3個も埋められたのか、いまだ謎のままである。目の前には三河湾の海が広がっている。あなたにはこの謎が解けるだろうか。<1997年(平成9年)発行の「穂の国小坂井町かわら版」第6号より> 「銅鐸の国」開催にあたって その5に続く