日誌

ながなわの詩


 
いきたいけど こわくて いけない

タイミングは わかっているけど

こわくていけない

まわる なわは、へびのよう

ゆうきを 出して 目を あけて

走ってみたら とべていた

 

 これは3年生の子が書いた詩です。

 今来週に迫った長縄大会に向けて、わんぱくタイムや昼放課において、練習が佳境を迎えています。音楽に合わせて、その跳ぶ姿は、以前に比べずいぶんスムーズになりました。3年生の子どもたちは、学年全体でうまく跳びたいと願い、その秘訣を「走りぬける」「なわの真ん中を通る」「リズムよくなわに入る」と掲げました。

 しかし、そうはいうものの、苦手な子にとっては、やはり至難の業です。「いきたいけど、こわくていけない」「まわるなわは へびのよう」というように、子どもの行く手には、津波のような縄が立ちはだかります。そして、子どもはというと、ヘビににらまれたカエルのように固まってしまっています。

 そんなとき、きまって現れるのが救世主です。子どもたちの姿を見ていると、あるクラスは、友達が跳ぶタイミングを教えようと声をかけ、またあるクラスでは、跳ぶ瞬間に背中をポンとたたいて送り出しています。カエルになってしまった当事者も、どうしよう、どうしようと迷っているうちに、友達や先生の後押しで「走ってみたら とべていた」と、あっ気ない幕切れを迎えています。

 過ぎ去ってしまえば、案外簡単。しかし、大人たちは、そのあっ気ない記憶に、跳ぶまでの緊張や恐怖を忘れ「あんなの簡単だよ」「すぐできる」と言いがちです。試練の近くには、いつだって神様がいる。私たちが忘れてはいけない教訓です。