日誌

優しくされた記憶

ぼくが校外学習の遊びが楽しみなことは、一年生といっしょに

遊ぶことです。

理由は、一年生と一時間半の間、ずっと遊ぶことはめったにな

いし、小さい子と遊ぶことは少ないし、ぼくが一年生のときの6

年生には、たくさん遊んでもらって楽しませてもらったので、

ぼくも一年生とたくさん遊んであげて、楽しませてあげたいです。

 

  6年生の日記を、担任の先生に読ませていただきました。右の作品は、校外学習の時のものです。

   入学式、1年生を迎える会と、6年生は、1年生と交流を積み上げてきました。1年生にとっての彼らは、いつの間にか頼りになる、かけがえのない存在になっていました。

  6年生の彼を支えていたものは何でしょうか。

  それは、日記から、5年前の体験だったことがわかります。おそらく、あのころ、交流のイベントはもちろん、日常の通学班の登校やわんぱくタイムでも、6年生に十分過ぎるほどのお世話をしてもらったことでしょう。彼らの優しさには、今はもう高校生や社会人となってしまったお兄さんやお姉さんの存在が原体験にあったのです。

   伝統は目に見えません。が、「良友」の精神は、子どもたちの心の奥底に脈々と流れ続け、その後形や姿となって現れていたのです。そう、今の1年生の子どもたちも、最上級生になったとき、今日の日のことが甦り、日記を書いた子のように、自身を突き動かしていくに違いありません。

  まさしく伝統のちからです。